あの誕生日から1年
こんにちは。そしてこんばんは。まっちゃです。
突然ですが、本日8月20日は自分の誕生日です。
そんな自分ですが、ちょうど1年前に以下のようなnoteを投稿しました。
そうです。1年前の自分は、誕生日が苦手だったんです。
理由は、上のnoteを読んでいただければ分かると思います。
そして、このnoteの投稿から1年が経過して、今年の誕生日を迎えることになりました。
なので、今の自分にとって”誕生日”とはどういうものかを書いていこうと思います。
あの投稿を今読んで思うこと
あの投稿、というのは先程も紹介した「誕生日が苦手な話。」です。
この記事を今読み返してみて、当時の自分はかなり思考力があったんだなと自画自賛しました。
今読み返してもかなり論理的というか、矛盾がそこまで見当たらない理論を展開して、なぜ誕生日が苦手なのかという問いに対して明確な答えを導けている。おそらく、今の自分にあの記事は書けません。
それくらい、当時は誕生日に対する苦手意識が強かったのでしょう。
「当時は」って言ってるということは、今はどうなったのか皆さん気になりますよね。それはまた後述しますので、もう少しこの話にお付き合いください。
あの投稿から変わったこと
あの投稿をした後、多くの方から反響を頂きました。その際にメッセージも幾つか頂いたのですが、以下のメッセージが多かったです。
「自分も誕生日が苦手でしたが、まっちゃさんの記事を見て自分だけじゃないんだって気づくことができました!」
このメッセージを読んだ時、そっくりそのまま同じことを自分も思っていました。
「ああ、誕生日が苦手なのは自分だけじゃなかったんだ」って。
この投稿をするまでは、誕生日が苦手なのは異常で、苦しくて、辛いことだと考え、それでいて誰にも話せずに自分の中で留めていました。
しかし、こうして自分の思いを世に放ったことで、実は自分の思いに共感してくれる人がいるんだということが分かったのです。
このとき、凄く気分が楽になりました。
自分の思いを正直に告白し、それを他の人が受け止めてくれる。それだけでもう自分としては何かが報われた気持ちになりました。
1人で悩む必要はない、打ち明けることは何も悪いことじゃない。
なんだか、そう感じました。
誕生日に対して”今”思うこと
あの投稿をしたことで、先程もお伝えしたように”誕生日”で悩んでいた苦しさが一気に晴れ、楽になりました。
そして、同時に苦手意識も吹っ飛びました。正確には、「苦手」が「無関心」へと変わりました。
あの投稿以来、誕生日に期待をしなくなりました。と、いうのも、誕生日が苦手だった頃は「それでも何か1つくらい良いことがあるだろう」と心のどこかで期待して、それで誕生日を迎え絶望していたのです。
だったら、最初から期待しないほうがいいのです。これは決して投げやりになったわけではなくて、あの投稿をして、気持ちが楽になった結果です。
誕生日とは言えど365日の中のある1日。それ以上でもそれ以下でも無い1日。そう思うことができるようになったのです。
これは、きっと大きな成長だと思います。
そしてあの投稿から1年
そんな自分も、本日誕生日を迎えました。
あの投稿から早1年、また1つ歳を取りました。
今年も毎年の如く友人からのお祝いメッセージなどはほとんどありませんでしたが、例年とは心持ちが全然違いました。
例年の今頃は、きっと絶望して、誕生日を更に嫌いになっていたことでしょう。ですが、今年は違います。
「ま、そりゃそっか」
で済ますことができるようになりました。
始めから期待していなければ、メッセージがたとえ来なくてもそれがデフォルトになるので、絶望という感情が全くありません。
いつもと変わらぬ1日の中で、ある基点となる1日が誕生日なだけで、その基点に今年もまた辿り着けたこと、それだけでもう十分です。
誕生日を祝うのではなく、「誕生日を迎えられた自分を自分で祝う」。
それが誕生日だと思います。
メッセージやプレゼントは二の次、まずは、自分を自分で祝ってあげましょう。
そういう考えになれば、きっと誕生日が苦手ではなくなります。
それでは、締めの一言として、皆さんの誕生日をお祝いします。お誕生日、おめでとうございます。
ここから先は
¥ 1,000
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?