繊細なのか鈍感なのか

コミュニケーションは難しい。
自分では必要ないと思ったとしても、相手にとってはそれが大いに必要だったり。
逆に自分には必要だと思ったとしても、相手にとっては全く必要ではなかったり。

自分基準でしか考えられないと、周りとかなり摩擦を生んでしまうことになる。

とはいえ、周りの基準を優先しすぎると、今度は大切な自分自身としての判断ができなくなってしまう。

プラス極にも振れすぎはいけないし、かといってマイナス極にも振れすぎてはいけない。

でもずっと中間地点にいればよいわけでもない。
単なる中間地点は「平凡・無味」とのレッテルを貼られかねないのである。

目指すは、価値として存在し得る、良い意味での「バランス感覚のある中間地点」だ。
だからこそ、難しすぎる、なかなかその真ん中を、妥協点を見出すことができない。

昔からの自分が、素の自分でやろうとしていることが、明らかに通用しないと解った瞬間、かなり寂しさに襲われてしまう。

「あぁ、これは向いてないんだ」
そうつぶやいて、あっけなく手放してしまえば良いんだが、そう簡単に諦めてたまるかという精神が邪魔をしてくる。
というか、そんな簡単に自分の能力に見切りをつけて、たやすく結論を出してしまうほど、年も取ってないし場数も踏めてない。
まだまだ投げ出すには早すぎるタイミングだから、結局投げ出すことは無い。

とはいえ、傷つくことには傷つくし、上手くいかないことに対して免疫力もさほど無い。
年長者の言うことは正しくて、事態を改善させるにはその意見を聞くことが賢明だから聞くんだけど、でもそれは自分にはできないことを言われるわけだから、事態をより良くしようと思えば思うほど、当然のごとくダメージは大きくなってしまう。

鈍感であるように思えるけど、繊細な部分も多い。
今日はいつもより、電車の揺れが気になってしょうがない。

あぁ、こういう敏感さは要らないんだろうな。
都合よく心臓に毛を生えさせて、効率よく意を汲み取れるアンテナを5Gにしたいものだと強く思う。

脳筋ではない、脳筋にはなれない。
ただ、それほど脳をフルで使っているわけじゃない。
良い意味での真ん中を見出したいけど、悪い意味での真ん中=どっちつかずになっている自分が嫌いだ。

早く革命的に抜け出したいけど、そんな手段はどこにもない。
地道に地道に強くなっていくしかないようである。

落ち込む時は徹底的に落ち込むと決める。
人間らしさを感じる、水曜の午後。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?