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音楽と人

音楽は人柄とは関係がない。
芸術の素晴らしさが、人格に由来しないことは
語られ尽くし、答えは出ていると思う。

天才と言われる人は、常識を超越した思考を
持っているが故に、とっつきにくかったり
時にエキセントリックだったりするのは
宿命的ですらあると思う。

天才、鬼才と呼ばれる芸術家に
夭折した人が少なくないのもむべなるかなである。

芸術とは作品がすべてである。

揺るぎない真理だと思う。

が、そうは言ってもである。
音楽には、生の演奏を通しての
演者と聴衆という関係がある。

これは繰り返し述べているけれど
人気絶頂のアーチストが、コンサートに
遅刻したり、酔って演奏したり、
ひどい時には、当日キャンセルだったひり
という行状を(外タレに多かった)
ロックは予定調和じゃないなんて言われても
納得できるはずがない。
客をなめるな。である。

本題に入ります。
うつろいやすい“ゲーノーカイ“にあって
敬愛する、西城秀樹さんは、上記のような
集金外タレとは、180度違うもんね。
基本、日本のミュージシャンは折り目正しく
仕事に穴を開けることもほとんどないでしょう。プロなんだから当たり前といえば
当たり前なんだけれど。

音楽は音楽以上でも以下でもない。
純粋に作品に向き合うべき。
ずっとそう思ってきたけれど。

西城秀樹さんの過去のステージ
BIG GAME を観ていると
なんだか、そういう
取り澄ました評論家みたいな態度は
完膚なきまでに粉々に砕け散り、
燃え盛る情熱の炎に焼き尽くされる。

ヒデキが鳥をかたどったものに
吊るされたまま歌う。
雷が鳴る中歌う。
ライブの最後にファンとの別れを
惜しむあまり、延々とあいさつをする。

ヒデキの音楽は素晴らしいもので
人柄うんぬんとは関係なく
素晴らしい実力で観るものを圧倒する。

繰り返す。
音楽の素晴らしさは人柄に由来しない。

けれども、ヒデキの音楽、全力パフォーマンス
を目の当たりにすると、そんなことは
どうでも良くなる。

ファンを驚かせたい
喜ぶ顔をみたい。
素晴らしい音楽を通して、徹底的に
エンターティナーであろうとした姿に
ファンは胸を揺さぶられ、涙してきたのだろう。

音楽は音楽として。
それ以上の何かをみて思いを馳せる。
“推し“や“オタ“ということばは
敬愛の印だろう。

歓喜するファンに仲間意識を感じる
この頃だ。

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