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「海程」を捨てる

久しぶりに家にいるお休みの日に晴れた。春からイベントや出かけるときは晴れるのに、家にいる日に限って天気が悪い。今日は半纏や大物の洗濯をし、風呂掃除をし、玄関前の草取りをした。自分の部屋も掃除した。部屋の隅に積んであった20年分の「海程」をまとめて紐で結んで玄関に置いた。小屋に入れておいて、今週は資源回収は紙なので捨てる。夫が「海程」を捨てるのはもったいないのではないかと言う。「国会図書館や北上の詩歌文学館にあるから、必要なら見れるでしょう」と答える。たくさん置いておいても読み返すこともない。今も俳誌2誌に投句しているので、どんどんたまる。本も積読の山である。それなのにフルタイムで働きだしたので、読む時間がない。あまり本が読めないと悲しくなる。俳句や詩を作っても消えていくのだ。賞を取っても一瞬うれしいだけで、すぐに忘れる。いったい自分は何をしているのだと思う。でも、書かないとダメになる。今も草取りしていて、悲しくて悲しくて鬱に向かいそうなので、パソコンに向かう。

下記の文章は、2010年6月に「海程」に載ったもの。載せるために書いたのではなく、金子兜太先生にお手紙として書いたものが載ったのでびっくりしたのだ。2010年と言うと、東日本大震災の前の年。文章の中に出てくるグループホームも流されたのかもしれない。金子兜太の妻、皆子さんが好きだったおじいさんは、津波を生きのびたのだろうか。

2010年6月「海程」463号より

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