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ひとりぼっちの楽しみ② 山登り

 頂上や風入れてゐる登山靴   太田 土男
 
 ある日、大学生のわたしは急に山登りに目覚めてしまった。
大学の図書館。美術コーナーで本をパラパラ見て暇つぶしをしていたとき、ぐうぜん辻まことの山の画文集を手にとった。イラストのような軽みのある山の絵に魅かれ、辻まことのほかの本にも手をのばす。図書館をでたころには、わたしは辻まことに恋をしていた。
 辻まことは、イラストレーターで雑文書き、山スキーの名人、ギターの名手といわれ、女にも男にもモテた。辻潤と伊藤野枝の長男という苦労と明るい作風と複雑な思考をもつかれは、現在でもファンは多い。
 山に登るにはどうしたらいいか。山の好きな知り合いもいなかった。
わたしはまず登山部をたずねた。話を聞くと毎週山にいくそうだ。お金もかかる。貧乏学生のわたしには無理だとあきらめた。
帰りにふと掲示板をみたら、西穂高山荘のバイト募集が貼ってあった。直感的に「これだ」と思って応募した。
 その夏、わたしは西穂高山荘でアルバイトをした。初登山が穂高である。はじめての上高地は、美しかった。日本にこんなところがあるのかという、垢ぬけた山の風景だ。
 7月からお盆までは大変な忙しさで山を下りたくなるが、お盆を過ぎるとめっきりお客も減る。休みをとって岐阜の高山におりて買い物をした。食料を運んでくるヘリコプターに乗せてもらい北アルプスの山容を上空から楽しんだ。朝は雲海、夜は流れ星。たまらない。
バイトがおわるとひとりで北アルプスの山をあるき、わたしはしっかり山ガールになって東京にもどってきた。
 大学を卒業し、就職した事務所にいまの夫がいて、山や釣りが好きな人で仲良くなった。結婚前のデートは山だった。ふたりというより彼の山友だちも一緒のことも多い。
 夫たちは南アルプスや八ヶ岳がフィールドで、わたしも連れていってもらった。それなのに、わたしには記憶がない。写真は残っている。夫と山にいった、それは覚えているのに、細かいことは記憶から消えている。山の名さえ思い出せない。
 これは夫たちにすべて任せて、じぶんではなにも考えないで山へいったためだ。運転もルートも男まかせ。食料もお酒もかついでくれる。お姫様のように登る。
 ラクだが、内心は男たちに迷惑をかけないように一生懸命登っているから、景色をじっくりみていない。
 山をまるごと味わうのはひとりでなくてはならない。
ひとりの山旅は、苔むした山道を踏んだ感触まで足の裏にのこる。
雷が鳴ってきて、岩陰に身をひそめる。雨もふってきた。カッパをきて雷がすぎるのをまっている。ふとみると、岩のうえをちいさな虫がちょろちょろ動いている。虫たちに雷は関係ない。そんな虫たちをみていると雷が去って、晴れてくる。
常念岳に登る途中、疲れて道の脇に座りこんで休んだ。うしろの藪にポキポキと下枝を踏むような音がきこえる。嫌な予感がして、大きく手を何回かうった。バサバサという音がしてうしろを振りむくと熊が慌てて逃げていくところだった。まっ黒な体がみえて、わたしは腰を抜かしてしばらく考えた。鉢合わせしなくてよかった。このまま登るかくだるか。だいぶ上まできた。あと少しで尾根にでる。尾根に熊はいないだろう。というわけで登る決心をして、尾根にでるまでひたすら、「あるひ もりのなか くまさんにでああった」と、大声で歌いつづけて登った。
 ひとりの山旅はエピソードや景色が記憶にこびりついている。
 岩手に住んで、早池峰山は裏山のようなものだったのでひとりで登っていた。しかし東北の山は熊が多いので、さいきんはひとりで登る勇気がなくなっている。若いときは怖いもの知らずであった。
 冒頭の俳句は、頂上について登山靴をほどいて休んでいるのだろう。暑い夏である。頭から足の先まで汗だらけ。少しいい風が吹いている。なんて気持ちがいいんだ。山靴も喜んでいる。もういちど、穂高の山頂に立ってみたくなる。
 山に登ったあとの温泉ほど至福な時間はない。ちかごろは手軽に足湯できるところもある。足にご苦労さんと温まるのもうれしい。
 
踏破せし雪渓仰ぐ足湯かな  太田 土男
 
 

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