見出し画像

ランディ

 ランディは猫である。立派な毛が長くフサフサした大きな雄猫。種類としてはヒマラヤンのような大型の猫である。(はっきり種類がわからない。)

毛が長いので余計に大きく見えて、夫の母からは「化け猫」と言われていた。

 ランディは一九年近く生きた。

 生まれたのは、一九八五年。独身生活の夫の元に、友達が子猫を持ってきて、「一人暮らしは淋しいだろう」とおいていったとのことだ。イタリアへ帰国する一家に猫の赤ちゃんが生まれて、里親を捜していたらしい。でも、由緒正しき子猫の赤ちゃんを、なぜ小汚い夫のアパートに連れてきたかは不明である。夫は、二、三日のつもりで預かったら、めろめろになってしまい、そのまま生活を共にしたらしい。

 名前のランディは、その頃阪神で活躍し、三冠王も獲得したランディ・バースにちなんでつけられた。夫はその頃、阪神タイガースのファンだった。そして、その年は、阪神がリーグ優勝に続き、日本シリーズでも史上初の優勝を果たした年だった。

 野球ファンでもない私がよく覚えているのは、その年に、夫と出会ったからだ。

本が好きな私は、友達の紹介で某編集プロダクションのアルバイトとなった。その事務所に今の夫がいた。夫は、仕事中に野球を見たり、会社に来ないで釣りに行ったり、『釣りバカ日誌』の浜ちゃんのような勤め人だった。

 私は、このとき、夫となる人から「可愛い猫」だとランディの写真を見せられた覚えがある。でも、その時は、ランディと私が暮らすことになるなんて思いもしなかった。

 私は、編集プロダクションで請け負っていたハーレクインロマンスシリーズの本のタイトルをつけたり、あらすじを書いたりしていた。夫となる人は、事務所を辞めフリーになり、私は正社員になり、仕事関係の山仲間として付き合っていた。

 結婚したのは、一九九一年四月。私も編集プロダクションを辞めて、一年間愛知県瀬戸市で焼き物の勉強をした。東京に帰ってきて結婚し、玉川上水に近いアパートに住み始めた。

 それが、ランディとの暮らしはじめである。ランディは六歳になっており、立派な猫だった。ただ、私にはなかなか、なつかない。姿さえ見せてくれない。ベットの下や押し入れに隠れている。私が手を差し伸べると、フーッと言って怒った。六年近くも夫との二人暮らし、そこへ突然の闖入者が現れて、怒るのも無理はない。

 そんなランディと仲良くなったきっかけは、獣医に連れて行ったときからだ。

爪が長く丸く伸びすぎて、肉に食い込みそうだった。うまく切れそうもないので、動物病院へ連れて行った。ただ、爪を切るだけなのに、ランディはおびえて恐がり、しっかりと私にしがみついていた。私は「大丈夫だよ」とランディを抱きしめて、あっという間に処置は終わった。

 動物病院の帰り道、車の助手席に座った私に抱かれているランディが、私を飼い主として認めてくれたのを覚えている。「しょうがない、こいつを頼りにするしかない」という感じだ。

 それからは、餌をあげる私が飼い主として、夫より優位に立ったと思う。私の布団に来ては、もみもみと手を動かしゴロゴロ喉をならす。いつも一緒にいた。

 しかし、やっと新しい飼い主になれたランディには、まだ試練が待っていた。

 まず、アパートが狭いということで、八王子の一軒家に引っ越した。猫は、新しい環境は苦手のようだ。また、部屋の片隅で動かなくなっていた。ただ、アパートと違って、地面に近いところに住めるようになった。ランディは家猫で外には出さなかったが、その家の日当たりの良い出窓で、外を見るのが好きになり、近所の人たちに、「あら、かわいい」と言われて、飼い主は鼻が高かった。

 次に、夫と私は岩手への移住を計画していた。遠野の山里に家を建てるのだ。

そのための遠野旅行にもランディを連れて行った。民宿に猫も泊めてもらった。こういうドライブは、犬だったら面白がってくれるかもしれないが、ランディは不機嫌だった。疲れるし、知らない人に会うのは嫌いだからだ。むすっとしたランディは、それでも体調も崩さず、飼い主に付き合ってくれた。

 さて、一九九三年に遠野へ大移動。家を建てている間は、小さな教員住宅を借りて住んだ。ここでランディは、家の中から解放される。ひとりで外に遊びに行ってもいいのだ。しかし、都会育ちの猫がそうそう遠くまでは行かない。そして、野良猫という猫たちがいるのも知った。

 ある日、猫の唸り声がするので外に出たら、ランディと野良猫がにらみ合っている。思わず私が「ランちゃん、家に入りなさい」と言ったので、ランディは私の元へ走り出そうと相手に背を向けた。とたんに相手の猫はランディにとびかかり、取っ組み合いになってしまった。私もとめられなかった。やっと私が間に入って野良猫を追い払ったが、ランディはボロボロになっていた。「ごめんね、私が声をかけなければ良かったね」と謝った。猫には猫の喧嘩の仕方があるのだ。邪魔をしてはいけない。

 優雅なランディも山で暮らすうちに野生が呼びさまされていった。ねずみ、モグラ、鳥、小さな蛇を生かしたまま捕ってきては、私たちの前に置いていく。「えらいね」と誉めるが、一度は蛇がタンスの裏に逃げて、慌てて柄の長い箒で外に追い出した。

 ランディは、ハンターとしての獲物が豊富な山暮らしを楽しんでいたようだ。自慢の長い毛に枯葉や泥をつけて意気揚々と帰ってきた。

でも、それは食べるためではない趣味のようなもの。まわりの野良猫は、食べるために養魚場のマスを捕り、ネズミを捕る。獣の罠にかかり、足を失くした猫もいた。それでも一匹で生きていた。そんな野良猫たちから見たら、ランディは目障りな猫だっただろう。相変わらず、野良猫たちからけんかをふっかけられていたが、にらみ合いで終わっていた。

 やっと新しい山の家になれたと思ったが、ランディの試練は続く。まずは、犬の登場だ。

 教員住宅に仮住まいの頃、猟師から離れたポインターが現れた。その犬を餌づけして、わが家に置いた。しばらくして、ポインターの飼い主がわが家を訪ねてきたが、犬は私の後ろに隠れてしまうので、飼い主は「この犬は、もう猟に役に立たないので、もらってくれ」と言う。ポインターは、ベルと名づけてわが家の犬になった。

 ランディはさぞ嫌だったことだろう。でも、犬は繋がれているし、ポインターは賢くて吠えなかったので、ランディは気にせず、相手にしなかった。

 残念なことに、このポインターは、三年で死んだ。死んだと思ったら、村の人が黒い雑種犬を「犬がいなくなって、ちょうどいいだろう」と、くれた。  

その人の都会に住む息子さん一家が犬を飼ったものの、よく吠える犬で近所迷惑になった。飼うことを諦め、田舎に飼い主を捜していたのだ。わが家なら、いくら吠えても隣が遠いので迷惑にはならない。

この犬は、「又一」と名づけた。村にある「又一の滝」からとった名だ。(この犬もわが家の名物犬となったが、その話はまたにする。)

この犬は、よく吠えるだけでなく、人なつっこい。飛びかかる。ランディにも興味津々に吠えるので、ランディは迷惑そうだった。でも、繋がれているので、避ければ大丈夫。仲良くはしないけれど、だんだん慣れてそばを通っていた。

しかし次の試練は、つながれていない動物だった。赤ん坊の登場である。今までは、ランディランディと可愛がられていたのに、わが家の中心が赤ん坊になった。

夫の母は動物嫌いなので、わが家に来ては、「赤ん坊に悪いから、猫を捨てろ」と言っていたが、皆で無視をしていた。ただ、ランディは、私の布団ではなく、大きな竹の籠に座布団を敷いて、そこをベットにした。

赤ん坊は、すぐにはいはいをし、歩き出す。ランディより小さかった赤ん坊が大きくなり、「ランちゃん」と言って、ムギュと抱きしめるようになった。抱きしめられた時の嫌そうな、迷惑そうなランディの顔を思い出す。

幼子は、一人から二人になり、子どもというものは、子どもを家に呼び込む。近所の子や保育園仲間が家にやってくる。そんな子どもたちの声を聞いただけで、ランディはさっさっと二階に駆け上がり、夫の仕事場から出てこない。嵐が過ぎ去るのを待っている。

子どもだけではなく、人嫌いなので、誰が来ても二階に隠れるのだが、静かに話す年寄りだと二階からおりてくる。

わが家は、玄関を開けると土間になっていて、薪ストーブが置いてある。お客さんは、靴を脱がずに腰かけておしゃべりをする。

その土間から二階へあがる階段がみえる。ランディは、年寄り、特に隣のばっちゃんが座ってお茶を飲んでいると、階段の下から三段めのところに座り、話を聞いていた。

ばっちゃんは、動物と日々暮らしている人だ。牛や鶏を育て、番犬の世話をしていた。ランディを見ると、「おお、いたか」と言って、毎回「大きな猫だな」と笑う。

田舎生活は、家族も増え、お客も増え、私はランディをかまうことも少なくなっていた。それでも、皆が寝静まって、私が台所に立っていると、ランディがそばに来て、頭をゴツンと私の足に優しくぶつける。ランディの甘える時間である。何かおやつをあげて、抱き上げ、「ランディは、良い子だね」と撫でる。その頃、ランディは、相当のおじいさんになっていたが、毛並みはまだフサフサであった。

そのランディが死んだのは、二〇〇四年。

その年の前半、阪神タイガースは、調子が良くて、優勝の可能性が見えた。しかし、ランディは衰えていき、いつも竹籠の中で寝ていた。ランディに、「また、阪神の優勝が見られるね。それまで生きなくちゃ」と話していたが、阪神の負けがこんでくると、ランディは食べなくなり、ある時、竹篭の中で死んでいた。

次の年、二〇〇五年に阪神は二〇年ぶりに優勝をした。「ランちゃんも、もう少し生きていれば優勝見れたのに」と言ってしまうが、ランディは興味がないことだろう。でも、二〇年近く一緒に生活していたことは、私たちの貴重な時間だ。

ランディの気配は、まだ残っている。シーチキンの缶詰をパカッと開けると、ランディが飛んでくるのではないかと、待っている自分がいる。

ランディ、あなたが恋しい。


2014年春*第十一号 たまむし文章教室作品集「恋」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?