ひとりぼっちの楽しみ③ 佐藤初女さんの思い出
おむすびは心のかたち雪のくに 成田千空
平成十四年の成田千空の句である。おむすびといえば、佐藤初女さんを思い出す。
わたしが佐藤初女さんの存在を知ったのは、龍村仁監督の「地球交響曲第二番」(一九九五年)に佐藤初女さんが出演され、話題になってからだ。
初女さんは、こころ苦しく迷っている人たちの話を聞いて一緒にご飯を食べるという活動をしていた。岩木山の麓に「森のイスキア」という宿泊できる活動拠点をつくり、その活動は、利他的奉仕活動として感動をもって人々に迎えられた。昔は地域に普通にあったかもしれない人間のつながりが希少価値になってしまったからか、全国から初女さんのもとに人が集まって、初女さんが細々とはじめた活動もマスコミが取り上げ、本もどんどん出て初女さんの有名度は増すばかりだった。
二〇〇六年に盛岡劇場で初女さんの講演と上映会があった。わたしはここでようやく映画を観ることができた。
もっと初女さんのお話を聞いてみたいと思い、森のイスキアの事務局へ宿泊の予約電話をしてみた。電話口の優しい声の女性は「何年も先まで予約でいっぱいです。キャンセル待ちをなさいますか?」という。もちろん「待ちます」と答えた。
初女さんの本を読んで、わたしが繰り返し心に浮かぶのは「面倒くさいといわないようにしている」というものだった。わたしもすぐに「面倒くさい」と思う怠け者である。でも、美味しいものを食べたい食いしん坊でもある。美味しいものをつくるには、手間暇がかかる。
遠野の庭には大きなクルミの木があって、毎年たくさん実がなる。そのクルミを拾って、外皮を腐らせて、ドロドロになったクルミを籠に入れて川で洗う。外皮が取れておなじみのクルミがでてくる。それを笊に広げて干ししておく。縁側に干していると、ネズミやリスが横取りするので、乾いたらネットに入れて干す。クルミを食べるには固い殻を割って実を掘り出す。おからサラダや青物の和え物にクルミを入れて満足する。
ついつい忙しいと手間暇は惜しむことになり、買ったもので済ますことも多い。
そんな中で、初女さんの常備菜をつくることのすすめも真似している。二品三品と常備菜があれば心が落ち着く。仕事の帰りが遅くても、冷蔵庫に切り干し煮とポテトサラダがあれば、かえって肉か魚を焼くだけでいい。いまでは常備菜つくりは若い人にも浸透しているけれど、わたしは初女さんの本で教わった。
二〇一四年の夏、一本の電話がかかってきた。「森のイスキアです。来週にキャンセルがあったので、来られますか」という。一瞬なんのことか思い出すのに時間がかかった。予約したことさえ忘れていた。しかしすぐに「行きます!」と答えた。
森のイスキアでは佐藤初女さんが迎えてくれた。講演会でみた堂々とした初女さんより二まわり三まわりも小さくなっていられた。スタッフの女性たちは明るく元気にもてなしてくれる。その晩に泊った方たちは、初女さんに触発されて独自に活動されている方たちだった。
初女さんは床にちょこんと座って背を丸めてご飯をよそり、人参の皮を丁寧に剝いておられた。多くは喋らず、わたしたちのお喋りを夜遅くまでニコニコと聞いていた。もうなんだか菩薩のような(初女さんはカトリックだから、マリア様かも)感じで座っている。朝には、あのおむすびを握ってくれて、わたしたちは大事に食べた。
二〇一六年二月に佐藤初女さんが亡くなった。九四歳だった。存在だけで癒される人であった。お会いできたことは一生の宝物だと思っている。わたしのなかで「面倒くさい」がでると、いやいやと首を振って初女さんを思い出す。
わたしには、初女さんは津軽のお母さん、成田千空は津軽のお父さん的な存在である。千空は初女さんと会ったことがあったのではないだろうか。
早蕨の青き一と皿幸とせん 成田 千空
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