失うということ。

今日も一日お疲れ様でした。
■■への旅路、夜行バスの消灯まで時間があるので、初めてスマホから綴ります。
今日はあまりに多くを失いました。

朝、荷物を詰めていると、誕生日プレゼントに貰った指輪が無いことに気が付きました。
私は装身具を着ける柄じゃないのですが、■■では人目を気にせず毎日着けようと思って、決して無くさないよう筆箱に入れていたものです。
筆箱には穴が空いていたのです。
落ちうる場所はすべて探しました。
研究室にも行って、机の下も見たのです。
でも、見つからなかった。
別に婚約指輪でもなんでもないのですが、私にとっては凄く大切なものだったのです。
学部の卒業式、私にその指輪をくれた人と会場へ行くのに、私はつい指輪を付け忘れました。
だから、私は指輪を家に取りに帰ったのです。
待ち合わせを反故にして。
それから、学科でこじんまりと行われた証書授与式にも出ませんでした。
取りに帰っていたので。
私は、きちんと指輪を着けてその人に会いたかった。
しかし、指輪の有無は、究極的にはどうでもよかったのです。

そういう凄く大切な指輪が失くなったので、探すのに多いに予定が狂いました。
結局、見つかりませんでした。

大学から高速を使って帰って、シャワーを浴びて、ヒゲを剃って、そうして人とのお見送りの約束に30分遅刻したのです。
予定の兼ね合いからその人とお会いすることは出来ませんでした。
わざわざ遠くから来てくれた人を、私は待たせるだけ待たせて、思いをむげにしたのです。
まただ。同じことの繰り返しだ。

この時点で荷造りはまったく終わっていなかったので、一人帰った後、自室で荷造りを再開しました。
予約していた映画も、観に行けません。

ああ、全然入り切らない。
そうやってひとつひとつの物を見ていると、私はなんて自分勝手でどうしようもないやつなんだと、自分が心底嫌になったのです。

いきなり独り立ちを決め、勢いに任せてゴリゴリ進めていても、最終日に一気に感情が爆発して、どうにもならなくなりました。
■■、もちろんそこでの生活は凄く楽しみで、これまでポジティブな側面ばかりを考えていたのですが、ふと、23年間ずっと育ててくれた親元を離れるという実感が、自室で荷造りしている間にグッと込み上げてきたのです。今こう文字を打ち込んでいても涙が止まりません。

本当に私は駄目な子どもでした。いつも心配ばかりかけて、親は大変に苦労したと思います。
親不孝ながら私はそういうことを心から考えたことは今日まで無かったように思います。
どうして今までそう思わなかったのか不思議なくらい、もう気軽に親に会えないと思うと悲しくて仕方ないのです。
たとえば親が危篤になっても、私はもうすぐに駆けつけられませんし、親の死に目にも立ち会えないかもしれません。
気軽に帰省することすら容易ではありません。
もう、親のぬくもりを近くで感じられないかもしれません。
そういう最後になるかもしれないお別れをきちんとしなかった私は、本当に愚かでした。

今日は他にもいくつも失いました。
今日は本当に、同時にいろんなものを失いました。
私の愚かさ、無能さ、馬鹿さが、ある意味はじめてリアルな感覚を伴って今押し寄せてきて、嗚咽が堪えきれず、周りの人にあまりに迷惑なため、これ以上書くのはやめておきます。

しかし、今日の気持ちを忘れないために、今の文字を残しておきます。

私は、普通に生きたかった。
普通に友達がいつもまわりにいて、別に忘れ物もなく、部屋が散らかることもなく、約束はきちんと守れて、親といっぱい会話して、普通に大学生活を楽しんで、普通に就活して、初任給を親に渡すような、そういう生き方をしたかった。

もう、二度とこんな思いはしたくない。
頭がすり減ったって、身体が動かなくたって、絶対に、絶対に、もう、私は自分自身に振り回されない。
きちんと自律して、きちんと自立して、人並みの、普通を追い求める。

本当に、今は申し訳なさで心がいっぱいです。


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