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どうしてもダメなもの

誰にでも苦手だったり嫌だったりすることがあると思う。
私にもいくつかある。
その中でも1番嫌なことが最近起きた。
とても悲しいこと。
どうしようもないこと。
いつか自分もそうなること。

それは「火葬」である。

(内容が暗めなので苦手な方はそっと閉じてください)


火葬とは、故人の遺体を焼却し、残った遺骨を葬る方法のこと。
今や当たり前のように行われている火葬だが、古くは土葬が主流だったらしい。
火葬方法の進化や土地の確保、衛生問題を理由に土葬は減少してしまったそうだ。

去年は祖父が、つい先日祖母が亡くなった。
二人とも死因は「がん」であった。
両家共に祖父母は病で倒れている。
家系的に自分も大病する可能性が高いと勝手に思っている。


話は変わって初めて人の死を身近に感じたのは中学2年生の時。
父方の祖母が亡くなった。
もともと病気がちで身体が弱かった祖母。
旅行中に訃報を聞くことになった。

中学2年生はとても多感な時期。
祖母の死がとても受け入れられなかった。

旅行先から帰ってすぐに祖父母の家にかけつける。
白い大きい箱が置いてあった。
その中に祖母がいた。
綺麗に化粧をされていた。

「おばあちゃん、綺麗だね」

受け入れられない現実の中で振り絞って出た言葉であった。

葬式はなんとなく過ぎて出棺となったとき

(あぁ、もう会えないんだ)

とお別れの実感がわいてきていた。

火葬されて出てきた祖母の骨はとても細くもろかった。
衝撃的な光景であった。

骨壺に入れられる祖母。

少し骨が入りきらないからと言って
すりこぎで砕き始める葬儀屋さん。

ごりごり
ばりばり

(あ、無理だ。こんなの嫌だ)

この日をきっかけに火葬が嫌になった。
(好きな人は極まれだとは思う)


祖母が亡くなったときに父から手紙を書いてほしいとお願いされた。

快く引き受けたが中身を読まれるのではないかという恥ずかしさから
正直な自分の気持ちを書くことが出来なかった。

実際に手紙を読まれることはなく、
棺の中に花と共に入れるだけであった。

私はとても後悔した。

もっと書きたいことがあったのに
伝えたいことがあったのに

その時のことが忘れられなかった私は
祖父母が亡くなったときに手紙を書くことにした。

楽しかった思い出
かわいがってくれた感謝の気持ち
お別れする寂しさ

ただの自己満足だけど
手紙を書くことで自分の気持ちの整理にもなっていた。
きっかけをくれた父に感謝したい。


他にも苦手なことはあるけれどまた機会があれば書こうかなと思う。

お別れは突然来るもの。
後悔しないなんて無理だと思う。
その日が来るまで精いっぱい生きよう。
家族を友人を身近な人を大切にしよう。

ここまで読んでくれてありがとう。

おしまいっ。



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