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その本が自費出版でないことを弁明したいわけでもなくて #kurukeredo

2023年5/18(木)4371


枡野書店宛に毎号送ってくださる短歌総合誌「現代短歌」。永井亘さんと瀬戸夏子さん(いずれも面識なし)の対話の中で何度か枡野に言及していただきました。そして乾遥香さん(面識なし。私は面識のある歌人が少ない)が枡野浩一全短歌集の書評を担当。書評やインタビューが出尽くした今、あえて短歌総合誌の書評の対象になることの有り難さを噛みしめます。短歌誌を買っても自分の悪口が書かれていればまだマシなほうで、完全無視が基本、『ショートソング』が約十万部売れても黙殺、「歌壇は枡野浩一を無視することでレゾンデートルを保っている」(大意)と批評集に書かれ、寄稿依頼があったわけでもない短歌アンソロジーを買えばコラムで枡野浩一批判が展開されており、初めて出た短歌シンポジウムでは終了直後に近づいてきた著名歌人に「君は短歌以外は才能あるねえ!」と満面の笑みで言われて、などの長年の「過程」がきれいに吹っ飛ばされたあとの短歌ブームにただただぼんやりとしてしまう今、ふだんの乾さんによる書評にくらべたらだいぶ穏便なものだったと感じ、それゆえに全短歌集について読者一人一人に弁明して回れないことについて長く思いをめぐらせ、ほかの著作を知らない新しい読者に向けて制約の中でベストを尽くしたつもりでも、離婚後の私の交際相手が男性だったことも、出版界に絶望して千川や中野や浅草で芸人活動をしていたことも、そのあたりの短歌を「この次」があるかもと信じてばっさり割愛したのだから苦笑するしかないし、ただ、2023年の今はTwitterプロフィールにのみ残してある短文の、著者本人が主眼とする結論部分ではなく前半部分が出典を明記されずに引用されていると、まるで全短歌集でも同様の「十八番」をくりかえしているかのように読めなくはないし、私が二十五、六歳でフリーライターとして小沢健二作品に言及した頃にも、そのあたりはもう少し厳密にやらないと編集者(町山智浩さんや穂原俊二さん)から直しを命じられたものだった、などという思い出話は瑣末なこと、加藤千恵さんの短歌集を読んでくださってありがとうございますと心から思い、あの本の処女短歌集という肩書は私ではなく著者本人の希望で付けたもの、デザイナーさんは版元の編集者氏のチョイス、日本語として舌足らずのサブタイトルは作者や監修者の希望ではなく版元の社長と闘ったあげく最後まで残されたもの、私が監修で関わったのはマーブルトロン版と中公文庫版だけ、監修は版元を見つけて好きな歌を指差しただけ、などという、もうどこにも記録されていない情報を書き残しておきたくなりながらも三度読みました、深謝します。

短歌誌に原稿依頼されない(されても連作が苦手だから困る)私の短歌は、もう長いことインターネットが初出。そのような近作の八首を厳選、縦組で印刷していただく予定。今、枡野浩一の短歌がまとめて読める印刷物は「胎動短歌」だけ!

きのうのばらら。

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