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絶妙のセンスだなあ。この本のつくり全体を真似したい。又吉直樹『東京百景』(ヨシモトブックス)書評

【初出「テレビブロス」2013年10.12〜10.25】


 高円寺の深夜営業の書店に美しい本があったので手にとった。文庫本よりちょっと大きなハードカバー。厚めの透明ビニールカバーの下には着物を思わせる布を再現した表紙。

 目次をみると、下北沢、三鷹、原宿、そして高円寺と、東京の地名がたくさん出てくる。書名は『東京百景』。著者の又吉直樹さんとはテレビで二度共演しているが、申しわけないことに著書を買ってみたのは初めてだった。

 阿佐ヶ谷のファミレスで朝になるまで夢中で読んだ。収録されている文章の長さがまちまちなのがとてもいい。雑誌連載をまとめた本だと、すべての収録作が同じ長さになってしまう。本書はちがう。書き下ろしばかりだからだ。立川のことが九ページ書かれる。国立のことは九行書かれる。同じ地名が何度か出てきたりする。東京じゅうをドラえもんの「どこでもドア」で転々としているような気分になる。時間もあっちこっちする。いい。随筆にも私小説にも見える。帯には《文章100編》とだけ書いてある。「文章」か……。こけおどしを嫌う、奥ゆかしい矜持を感じる。

 淡々とした筆致だから真顔で読んでいると、不意をつかれて笑わされてしまう。私が見る又吉さんはいつも俳句のことや言葉のことや小説のことを話しているのだけれど、そうか芸人だったんだっけと当たり前のことに驚く。

 売れなかった時代から売れっ子の現在まで、たくさんの人々のエピソードが語られる。それが地名と結びついているのがいい。職務質問によくあうというような、どの場所で起こってもおかしくないエピソードを語るとき選ばれるのは渋谷だ。絶妙のセンスだなあ。この本のつくり全体を真似したい。でも又吉さんの面白い人生や文体は真似できないだろう。

 古いアパートの描写が多い。似合っている。「室外機を置ける場所がないので、エアコンは設置できませんね」という、リサイクルショップの店員のセリフから始まる一編『東京のどこかの室外機』には、土地の名前はあえて書かれていない。エアコンを付けることが想定されていない築六十年強のアパートって、どこなんだろう。臨時収入が入ってもエアコンをリサイクルショップで買おうとしているところが好ましい。私たち読者が「又吉さんは今では売れっ子芸人」と知っているから、貧乏エピソードが楽しく読めるんだろうか。健康保険料の滞納で武蔵野市役所から差し押さえにあってしまった私は、そのじつエアコンのある部屋で暮らしている。お恥ずかしい。

 本書最後に収録されている百編目『アパート』にも地名が出てこない。《最近、風呂無しのアパートを借りた。》という衝撃の告白。《うっすらと聞こえる隣人の溜め息。》を味わうような部屋を、なぜわざわざ。たぶん別荘のようなものなのだろうが、それにしても。

 関西人である又吉さんの東京への距離感。それは芸人である又吉さんの、書物への距離感と近いのかもしれないなんて想像した。根拠があるわけではない。又吉さん、大好きだ。

(文・枡野浩一)

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