ロバ耳2

 ご注意ください!! ここはちょっと危険な言葉があふれています。

 ポリシーもご参照ください。

 2015年8月21日追加。ロバ耳2にしました。いずれロバ耳3もあるかも。

 お好きな言葉を我が事としてお選びください。

 それでは、ちょっと叫びます……。

演出も大事。演出をしても切迫感がない。何かが起きているようで、ワクワクが伝わらない。よくある話に見えると損だ。せっかくよく書けていても、あとに残るものが少ないと損。いかに説明を省けるか、知恵を搾りたいところ。大きなアクションがないと最後まで読みたい気分になれない場合もある(アクションは必ずしも暴力ではない)。遅すぎる。平凡すぎる。いつまでも幕が上がらない。

いい作品のようでも、いっきにまずくなることがある(それは喩えれば、カッコいい友人が食事のときにクチャクチャ音を立てて食べているのを見てしまったようなもの)。3行で済む話はしょせん3行なのだから。書ける人ほど、なにを書くか選んでほしい。

情報はもっと整理したい。書くべきところを書いていないので、わからない。肝心なことを明かさない、書かないということは、読者に対する犯罪的行為。この著者にいろいろと教えを請いたい(作品は好きではないけど尊敬に値する)。描写不足や読者には不要な描写の過多は、著者のセンスなのか技術なのか。読者が知りたいものは描写されず、知りたくないものが描写される現象。

軽妙であることと、雑であることは違うけど、ときどき間違える。言葉にもっと愛情がほしい。目的がわからない作品の軽妙さは不安になるばかりだ。導入部はもっと面白くなければダメだ。この長さで何も起きないのはマズイと気づいてほしい。饒舌が芸になる場合もあるが、いたずらに引っ張り回されるのは読者には辛い。上手な書き手でも、内容がもう一つ入ってこないのは、文章の順番の問題か。軽い話を軽く語ることができる人は、その才能を生かすべき(学んでできることではない)。

いかにも主人公たちが安全なのは退屈。主人公はどんな葛藤を抱いているのかが問題。どんなにほんわか世界を描くからといって、緊張感ゼロはまずい。大したことが起きない話を、時系列に進めるのは、読み手には地獄。題材の大きさと登場人物の造形が釣り合わないことに早く気付いてほしい。関係性はもっと丁寧に書かなくちゃ。どこかで聞いたことあるようなことを、素直に書いても読まれない(損した気になる)。語りすぎ、説明しすぎが後半にあるとさらに読後感は悪くなる。最後に叫ぶだけが目的なら最初からそう書くほうがいい。クレイジーな主人公の平凡すぎる言動に戸惑う読者。タイトルとキャラとストーリーがバラバラ。読者は先入観に振り回される。

表現が稚拙だと、登場人物に人間らしいものが感じられないことがある。登場人物たちがその年齢、思考に適切な言動、ふるまいをするように注意しないと、読者は混乱する。自分に書けない人物なら、自分で書ける人の眼を通して書くべきだ。著者の言いたいことを登場人物に言わせるときにはとくに注意。また、著者のつまらない考えに支配された登場人物は哀れだ。もし主人公らが空疎な人物だとして、それをあえて描くとしても、作品としては豊潤であるべき。そこに豊潤さを発見できないなら書いてもしょうがない。

殺気というか魂が足りない。なぜ遠慮しているのか、よくわからない。冒頭がとても大事だとわかっていても、書き出しに失敗する。気だるく眠い話がいいときもあれば、悪いときもある。ぶつ切りの話が連続するのも悪くはないけどスムーズな方がなおいい。プロットも大事だが、読み手には感情がもっと大事。書き手は気分がいいのだろう。あまりにも普通すぎる話で満足できるなら、書く意味はあるのだろうか。いい出来でも、ストーリーが弱いと印象に残らない。また強烈なことを書いたときに、全体のバランス(登場人物、表現力、せりふ、オチなど)が悪いと後味がとても悪くなる。たとえば他人の恋愛でも興味がわくときと、まったく興味がわかないときがあるのだが、その違いは大きい。

話を急ぎすぎ、語りすぎ、それでいてもどかしいのは、表現したい光景がまだはっきり見えていないからだと思う。連載形式はよくよく考えないと、読者によっては楽しめない結果になる。ムダが多い作品は読んでもなにも残らない。入ってこない文章は、乱暴すぎて誠意や丁寧さが足りないのではないか。もっと掘ればいいものが出てくるかもしれないのに。出し惜しみは嫌われる。推敲が足りない作品は作家にも読者にも悲劇。ありそうな話でも書き方しだいで楽しめる。語り足りていない事象を結末に引っ張りだす手は、読者としては「???」となりやすい。著者の知識があることはうかがえても、読者は満足できない。

テーマ性で引き込むなら、テーマをできるだけ早く提示してくれないと、読者としては困る。登場人物たちはなにかしら葛藤があるはずだが、伝わってこない。セルフパブリッシングでも著者にはその作品に責任があると思う。

もっとセリフに命を与えてほしい。セリフへの配慮が足りないと人物が薄く見えてしまう。セリフが立っていない(著者はセリフを声に出して言ってみるべき。叫んでみるべき。記号をつけなくても魂の叫びは伝わる)。セリフと説明のバランスが悪い。描写は固有名詞を出せば足りるわけではない。平凡な物だとしても、この物語に登場した以上、ほかに代わりのきかない唯一の物になる。

登場人物たちには何の不思議もないらしいが、読者は疎外されてしまう。当事者以外には計り知れない世界なのかもしれないが、そこをわかってもらおうという表現はしないのか? どうしてこうなったかの説明を読まされるのは退屈。説明しすぎるのは悪いクセ。主人公の境遇を説明するな(そこがドラマなんだから)。優しさが自己満足になっている可能性はないか。

人名に無神経になってはいけない。特別な言葉を使うときは、特別な意味がなくてはならない。意味のありそうな名前をつけたら、それがわかるようにしたいし、意味がないならそんな名前はつけないこと。平凡な言葉ばかりが出てきて、何も見えてこないため、内容が理解しにくい。手抜きというのとは違うはずだが……。

読者はその本を読んでいる可能性が高いのに(著者だけ読んでいない?)。懐かしいのと古いのとは違う。アイデア勝負の場合、自分ならではの爪跡をしっかり残さないと過去の類似作に負ける。語彙が平凡だと、せっかくの挑戦もパッとしないまま終わる。ジャンル小説のファンは貪欲なのだ。

この雛は雛であることに満足しているようなところが気になる。いずれ花開く種だとしても種だけを鑑賞する人はあまりいない。小さくても花は咲かせるべきだ。意図があるとしてもこの手のやり方は見せ方をもっと工夫してほしい。このような関係は悲劇しか起きないはずだが、何も起きない。どうしろというのか。輝きも陰鬱もない。乾燥しすぎている(読んですぐ、これはだめだと思ってしまった)。

全体におもしろいのに、こなれていない。もっと演じてほしい。上手に書ける人だからこそ、この話に固執せず、もっと大きな話に挑戦してほしい。秀逸なエンディングになりそうなのに、説明で終わるのはマズイ。漫画や映画の世界で許されているからといって、小説で許されるとは限らない。

軸となる語り手がわからない(未熟すぎ)。物語をちゃんと書いてほしい。ストーリーを急ぎすぎると読者には著者が怠慢に見える。途中まではよかったが、人物の形容で間違ったことをしてしまったら読者は引く。語り手がありえないと感じたら、読者はその話を信じることができない。他作品(著名な作品、話題の作品)を文中に入れるときは要注意(登場人物に語らせるならまだしも)。人間関係をしっかり描いてくれないと、最後で「これ誰?」となる。

どこから語りはじめるかは、最重要課題で間違えやすい。よく書けている冒頭部分でも、全体として意味がないなら削るべきだ。書き方はちゃんとしていても、ストーリーが見えない、興味を喚起していない作品は楽しくない。たとえばミステリーなら本当に魅力的な謎が出てこないと熱くなれない。サンプルだ、抜粋だ、というのは言い訳にはならない。サンプルでもオチ重視の作風なら、オチまで見せるべき(あとは買ってね、はあざとい)。この段階では何も起きていないのなら、あとを読む必要を感じない。読ませる工夫がもっと欲しい。メリハリのない話は印象に残らない。

地味すぎる(もう一つ仕掛けがあっても良かった)。好きな作家や目標とする作家がいることを知ってしまうと、その人が、どうしてこのような文章を書いてしまうのかと驚く。オリジナリティのようでいて、実は独特ではない(どこかで昔、見た、読んだ、聞いたような気がするのはなぜか)。

主人公がつまらない。人物がよくわからない作品は最後までよくわからない。どうでもいい人物はそう扱っておくこと。危険なはずの人物が、まるで危険がないとしたら、そのことを読者にどう納得してもらえるか、工夫が必要。

笑わせるのは高度な技術で、オチだけでは笑えない(アメリカンジョークが笑えない理由を考えよう)。このオチのためにこの概念が必要か。物足りないものの、いい作品というのはある。オチを重視した作品の多くはすでに書き尽くされている。