漫画で読む麻酔体験解説

<はじめに>

かつての手術は、患者を無理矢理に押さえつけて行われており、若くて元気のある人が決死の覚悟で受けるものでした。しかし、現代の手術を見てみると、昔に比べて安全で楽なものに進化しているのがわかります。近代になって効果的な麻酔薬が発見されたおかげで、いま私たちは安心して手術を受けられるようになりました。

ところで、皆さまは「麻酔って不思議だな」と感じたことはありますでしょうか?
「歯を抜く時の麻酔はあまり効いてなくて痛かった」という話はよく聞くのに、「胃を切る時の麻酔が効いてなくて痛みで手術中に涙が出た」という話は聞きません。麻酔の体験談を聞くと、痛かった、起きていた、全く覚えていない、など様々ですよね。
なぜ、このように人によって違いが出てくるのでしょうか?
そこで、本記事では様々な麻酔の体験談について麻酔科医が解説をしていきます。



<浸潤麻酔>

まずは、一番ありふれた麻酔、浸潤麻酔について紹介します。
浸潤麻酔とは、傷口のすぐ近くに局所麻酔薬を注射する局所麻酔の一種です。抜歯のときや傷を縫うときに使われるので、経験された方も多いのではないでしょうか。
注射する場所に太い神経や血管など刺さると危険な組織が近くにないため、大きな合併症を起こしにくい麻酔方法として知られていて、麻酔科医以外の医師もよく使っています。
簡便な麻酔方法なだけに、鎮痛効果は限定的で痛みを感じることもあります。また、眠たくなることはありません。



<神経ブロック>

神経ブロックも局所麻酔の一種です。特定の神経のすぐ近くに局所麻酔薬を注射して、神経を一時的に麻痺させます。手や足の手術は神経ブロックだけで行うこともあります。太い神経や血管に刺さるリスクはありますが、最近はエコーで神経や血管を確認しながら行うため、以前よりも安全で確実な麻酔方法になっています。
神経にしっかりと局所麻酔薬が効けば、その神経が支配する領域の痛みを感じることがなくなり、筋肉も動かせなくなります。神経ブロック単独で眠たくなることはありませんが、後述する“鎮静”や“全身麻酔”と併用する場合は眠ってしまいます。



<鎮静>

胃カメラの鎮静は眠れたり眠れなかったり…

上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)や下部消化管内視鏡検査(大腸カメラ)は苦痛が伴うため、麻酔を使うことがあります。
では、なぜ漫画のように麻酔で眠る人と、眠らない人が出てくるのでしょうか。
これは眠る作用のある麻酔薬(鎮静薬)には、呼吸を抑える作用もあるためです。誰もが確実に眠ってしまうほど大量の鎮静薬を使用してしまうと、呼吸が停止するリスクも高くなります。
しかし、胃カメラや大腸カメラで用いられる“鎮静”では、鎮静薬を呼吸が止まらない安全な範囲で使用するため、完全に眠らないこともあるのです。完全に眠らないため、漫画のように寝言をいうことも少なからず起こりえます。とはいえ、意味の通らない言葉をもにゃもにゃと言うだけのことがほとんどなので、寝言を気にする必要はありません。
“鎮静”だけでは痛みがをとれないため、痛みを伴う手術では鎮痛薬や局所麻酔を併用します。併用しない場合は痛みで目が覚めることもあります。



<全身麻酔>

全身麻酔はまるで強制タイムワープのよう

全身麻酔の場合は、呼吸が止まるくらい十分な量の鎮静薬を使用するため必ず眠ります。意志だけで全身麻酔に抗うことは不可能です。
全身麻酔による眠りは、通常の眠りとは脳波の波形も含めて全く異なります。そのためか、全身麻酔の眠りを「一瞬で起こるタイムワープ」のように感じる人が多いようです。

「手術中に目が覚めないか?」「手術後に目が覚めないことはあるのか?」とよく質問をされますが、どちらも現代では稀です。
現代の麻酔では、短時間だけ効く強力な麻酔薬を手術中ずっと持続投与し、鎮静の程度を脳波で確認(モニタリング)します。そして、手術が終わると麻酔薬の持続投与を終了するので、手術中はしっかりと眠って手術後にちゃんと覚めることができるのです。麻酔そのものによる身体への影響は軽微であり、若い人で短時間・低侵襲の手術の場合、術後は創部と喉に少し違和感があるくらいで何事もなかったかのように爽やかに目覚めます。

全身麻酔では人工呼吸のため気管挿管をします

全身麻酔では呼吸が止まるため、深い眠りについている間は人工呼吸器を使用します。麻酔で眠った後に口から気管へ管を入れ(気管挿管)、その管を通じて肺へ強制的に酸素を出し入れするのです。
この管によって声帯の動きが塞がれるため、声を出すことは原理的に不可能です。空気の漏れなどによって患者の喉から音が聞こえることはあっても、全身麻酔中に患者さんの声が聞こえたことはありません。麻酔中に寝言を言ってしまわないか不安に感じる方もいらっしゃいますが、全身麻酔中の寝言はほぼありえないので安心してください。

ちなみに、気管挿管ではなく、声帯を塞がないラリンジアルマスクを使用した場合は、声を出すことも不可能ではありませんが、ラリンジアルマスクは口の中をほとんど塞いでしまうので、やはり言葉を出すことはできません。



<脊髄くも膜下麻酔・硬膜外麻酔>

注射の針より消毒の冷たさで驚く人もいる

脊髄くも膜下麻酔(脊麻)や硬膜外麻酔(硬麻)は、背骨の中にある太い神経の近くまで針を刺して、そこへ局所麻酔薬を入れる局所麻酔の一種です。広範囲の神経を一時的に麻痺させて、手術の痛みを抑えます。

これらの麻酔は背中側から針を刺すため目で見ることができず、不安に感じる患者さんも多い麻酔です。
患者さんの後方で麻酔科医が行っていることは、主に ①消毒 ②短い細い針で浸潤麻酔 ③長い注射針を刺す ④局所麻酔薬の注入(硬麻の場合は背中へ細いチューブも入れる) です。
どれを一番しんどく感じるかは患者さんによって異なります。「アルコール消毒が冷たくてビックリした」「最初の(浸潤)麻酔の方が痛かった」「長い針を押し込まれて痛かった」「薬が入ってくる時に変な感じがした」といろいろです。

特に硬麻は針が太いため、「全身麻酔をしてから針を刺してほしい」と患者さんから言われることがあるのですが、それはお勧めしません。実は眠った状態で硬麻を行うと針が神経に当たっても気づかないため、神経障害を引き起こしてしまうことがあるのです。硬麻が成功すると術後の痛みがかなり楽になるため、麻酔に伴う一時的な痛みは少し堪えていただけるとありがたいです。



<脊髄くも膜下麻酔(脊麻)>

脊髄くも膜麻酔は下半身全てが麻痺する麻酔

脊髄くも膜下麻酔(脊麻)は、別名“下半身麻酔”とも呼ばれていて、数時間は下半身が完全に麻痺します。足が全く動かなくなり、痛みを感じることもありません。ただし、触られる感じや押される感じは分かることがあります。下半身だけの麻酔なので、基本的に意識を失うことはありません。
とても稀な合併症ですが、脊麻が効きすぎると上半身も麻痺して呼吸が止まり、意識を失うことがあります。その際はそばにいる麻酔科医が適切に全身管理を行い、局所麻酔薬の効果が切れるのを待ちます。

脊麻は、足の手術や一部の下腹部の手術で行われます。例えば、帝王切開は脊麻で行われることが多い手術です。脊麻による帝王切開は、目が覚めた状態でお腹を開かれるので患者さんは大変ですが、赤ちゃんが産まれる瞬間を体験することができます。状態が許せば、母子対面もすぐにできます。
一般的に全身麻酔で帝王切開を行うと胎児も一緒に眠ってしまうリスクがあるので、特段の事情がなければ脊麻を選択しますが、状況によっては全身麻酔で行うこともあります。



<硬膜外麻酔(硬麻)>

局所麻酔薬で麻痺するのは痛覚だけじゃない

硬膜外麻酔(硬麻)は、全身麻酔や脊髄くも膜下麻酔(脊麻)の補助や無痛分娩の麻酔で行われます。脊麻と比べると硬麻は鎮痛作用が弱く、足を動かせます。また、局所麻酔薬を注入できるカテーテルを挿入しておけるため、術後も鎮痛を続けられます。脊麻と同様に、硬麻も意識を失うことはありません。
また、硬麻には痛覚だけでなく、触覚や運動神経も軽く麻痺させる作用があります。例えば、下腹部の手術で硬麻を行った場合は、脚の神経も少し麻痺してしまうことがあるため、歩き始めるときは転倒などに注意してください。



<術後せん妄>

幽霊ではなく、術後せん妄です

病院だと幽霊を想像してしまいますが、これは幽霊ではなく“せん妄”と呼ばれる合併症です。

ここまでさまざまな麻酔方法について解説してきましたが、最後に「麻酔の後に起こった不思議な現象」として驚く人が多い“せん妄”について解説します。

せん妄とは、病気や怪我のストレスなどで一過性に起こる精神障害です。幻覚、妄想、興奮、意識混濁、見当識障害(時間や場所が分からなくなる)などの症状が起こります。麻酔の後にもしばしば起こりますが、麻酔だけが原因ではありません。

高齢者でよく発症しますが、若年者でも起こりえます。せん妄を体験したことのある方がおっしゃるには「かなりリアル。あとになって“せん妄”と気づいて驚く」とのことです。
急に発症するため患者本人や家族は驚きますが、“せん妄”は一時的なものですから時間が経てば元の状態に戻るため、ご安心ください。



<まとめ>

このように手術や患者に合わせて様々な麻酔が行われます。この非日常な体験に驚く人も多いでしょう。
また、知人やネットから麻酔の体験談を見聞きして不安に感じることがあるかもしれませんが、麻酔を受ける時の感覚や症状は個人差が大きいものです。それに、あなたが受ける麻酔方法は、体験談にある麻酔方法とは全く異なるかもしれません。
今回、紹介した体験談もあくまで一例ですから、もし麻酔を受けることに不安があれば、是非とも主治医や担当の麻酔科医に相談してみてください。

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