レースラフティングを13年やってから気づいたこと
こんにちは!
HORUというチームでラフティングレースに参戦している増田(@taka_striders)と申します。
大学入学後19歳でラフティングと出会い、気がつけば13年が経ちました。長くやって振り返ると色々なことがありました。
最近では、一回り歳下の方々と練習する機会も増えてこんな自分だからこそ伝えられることもあるのではないかと思い筆を取った次第です。
以下に該当する方々には是非読んでいただければ幸いです。
・増田のことは知らないがラフティングレースに興味がある。
・ラフティングのレースで見かけるが、どんなことをやってきたか知りたい
・何度か会っているが、結局のところ何者かわからない
・増田をよく知っていて、ちょっといじってやりたい
簡単に自己紹介
改めて、HORUの増田貴元と申します。
出身大学は拓殖大学で探検部に所属しておりました。
大学は2006年入学し2010年まで4年間在籍していました。
大学1年の9月天竜川WWFで初めてラフティングの大会に参加して、それ以降毎年主要レースに参戦させていただき、4年生の時には第33回リバベンの実行委員で競技係をやらせていただきました。
大学卒業後は下記の様に時期により様々なチームで大会に参加する様になりました。
2011年〜2011年 高尾ストライダーズ
2012年〜2015年 みたけレースラフティングクラブ
2016年 川グダり同好会
2017年〜2018年 アコンカグア
2018年〜 HORU
その中でどの様なことを考え、やってきたのか、その結果どの様なことに気づけたのかお話したいと思います。
大学時代
2006年に拓殖大学に入学するわけですが、探検部、ラフティングまで行きつく過程は「ただなんとなく楽しそうだったから」この一言に尽きると思います。
先輩の人柄、部の雰囲気が居心地が良くて在籍していた結果ラフティングと出会います。
その後、学生ラフティング選手の甲子園的存在リバベンと出会う訳ですが、その年に先輩の頑張りのお陰で7位と当時の拓殖大学の実力からすると好成績を残します。
この大会前の講習会で、当時ラフティングチームテイケイでバリバリのトップ選手だった柴田大吾さんに出会うのですが、的確で親身にアドバイスを頂き、レースラフティングにのめり込むきっかけになります。
その後も、レースを続けて行きますが成績は上の中辺りを定位置として中々優勝争いに絡むことはできないままでした。
第33回リバベン実行委員
4年生になり、ラフティングをやっている4年生は皆勧誘を受けるリバベン実行委員にぼくもお誘いを受けることになります。
少々迷いましたが、ある思いがありリバベン実行委員会に競技担当として入ることができるならやろうと決断します。
それは、「4人乗り部門の日本一を決める大会を作りたい」という思いでした。
2008年当時、年間スケジュールの中でラフティングで行われる4種目を1大会で全て行われる大会は長良川WWFのみでした。
長良川WWFは世界大会を基準に作られた大会でレベルも高かったのですが、ラフトは6人乗り部門のみとなっていて国内では主流だった4人乗り部門で4種目を行える大会はありませんでした。
そういった状況から、リバベン優勝チームより長良川WWFの優勝チームの方がレベルが高いと行った雰囲気が参加チームの中にはありました。
ですが、そもそも6人乗り部門と4人乗り部門では必要とされる技術も異なるので、4人乗りで優勝したチームが日本一と言える大会が欲しいとぼくは思っていました。
そこで、リバベンを4人乗りで日本一を決める舞台にしたいと思い、競技担当として実行委員会に参加することにしました。
実際、競技内容を全て変えるということは1から新しい大会を作ることに等しく本当に多くの問題がありました。でも、多くの方に協力をいただいて目標としていた4人乗りの4種目を行う大会を開催することができました。
この時にぼくは「この大会に自分が出場して優勝したい」と思いその気持ちが今でもラフティングレースを続けている理由の1つです。
大学卒業以降
大学卒業後は会社員をしながら引き続き年に数回大会に出場する生活を送っていました。
きっかけは、2011年の秋に御岳カップに参戦した時でした。
この時は拓殖大学のOBメンバーで3位以内を目標に練習もして過去最高の状態でレースに臨むことができました。
しかし、チームは惨敗、不本意な結果となります。数字以上に上位チームとの差を感じた大会でした。
その時に考えたことが、下記の様なことでした。
・このまま社会人でなんとなくラフティングを続けてもどんどん上位チームに差をつけられていくだけだ。
・何か環境を変えてラフティングに取り組める場を探そう
・今の自分に的確な技術指導をしてくれるコーチの様な方がいる環境は無いか
その考えの中で出会ったのが、みたけレースラフティングクラブでした。
みたけレースラフティングクラブはレースラフティング選手を引退した柴田大吾さんが立ち上げた日本初のレースラフティングのクラブチームでした。
ここに入会したぼくは約2年半ほど平日は仕事をし、週末は毎週御岳に通いラフティングの練習をする日々を送ります。
自身のレベルアップも実感し、大吾さんのお陰で様々な方との出会いもあり最高の環境でした。
しかし、その時に芽生えた気持ちがありました。それは、、
「自分がどこまでいけるのか試してみたい」
ラフティングの実力をどこまで高めることができるのか世界に向けてチャレンジしたいと思いました。
そうなると向かうべきところはラフティングのプロチームテイケイに入ることでした。
ちょうど練習生募集のため開催されたトライアウトに参加しますが、自分は大した結果を残すことができませんでした。
ただ、もうその時には仕事を辞める覚悟もできていたので、面接の際に仕事を辞めてこのチームで頑張りたい旨を伝えます。
幸い自分の熱意を買っていただき練習生候補としてしばらくの間会社員と平行してテイケイの練習に参加させていただくことになりました。
その3ヶ月後に再度テストを行い合格できれば晴れて練習生として迎えていただけるとのことでした。
テイケイでの練習はとてもハードでした。
1部約2時間の練習を最高1日3部行い、平日は仕事後に公園でフィジカルトレーニングに励み3ヶ月後の再テストでなんとか合格することができました。
実際に会社に退職する旨を伝え、晴れて練習生として毎日ラフティングの練習ができるところでしたが、テイケイの方から練習生としての話を一旦白紙とする旨の連絡がありました。
この時は退職予定であった会社に状況を伝え退職を取り消していただくことができました。
プロ選手を目指すことへの不安を強く感じたことを覚えていますし、この不安と常に戦いながら最高のパフォーマンスを発揮しているレギュラーメンバーには尊敬の念を抱きました。
この経験から改めて会社員として務めながら国内のラフティングレースで結果を出す方法は無いか模索し始めます。
HORU
少し時間は空きますが、HORUというチームを新たに立ち上げました。
2010年オランダで行われた世界大会にユース日本代表として参加したメンバーが作ったチームを再始動させる形で参加させてもらいました。
HORUというのは「H(本気で)O(俺たち)R(ラフティング)U(うまくなりたい)」の略です。
皆が本気でラフティングを上手くなるために考え協力するチームを目指しています。
2019年10月現在メンバーを8名まで増やして活動していて、より大きなチームにできればと思っています。
一度はラフティングのプロを目指して頑張ろうと考えていたぼくですが、いまこのスタイルに行きついて感じたことがあります。
会社員でも効率よく努力し続けることで、ラフテイングレースで成果を出すことはできるのでは無いか
もちろんフルタイムで練習できることに越したことはないですが、その他のスポーツでは仕事をしながらオリンピックを目指す選手も多いですし、きっとラフティングでもその形を目指すことは可能だと思っています。
で、その実現のためにやりたいことができました。
レースラフティングのスキルを体系化して伝達できるチームを作り、レースラフティングを本気で頑張りたい人に発信したい。
これは学生の時からずっと考えていた「レースラフティングも指導者がいればもっと上手くなれるのに、、、」という気持ちに自分が応えたいと思って考えました。
なので、学生社会人問わずいろんな技術をシェアしてレースラフティングを科学していける様に動いていきたいと思っています。
さいごに
レースラフティングと出会って13年と多くの時間が流れました。
学生の時にライバルだったメンバーはほとんどが競技を辞めてしまいました。
でも今になって思うことはレースラフティングは最高にエキサイティングだということと今が過去最高にレースラフティングを楽しめているということです。
この過去最高を更新し続けていきたいと思っていますし、多くの人にこの楽しみを知ってもらいたいと思っています。
なので、レースラフティングがもっと上手くなりたいと思っている方々一緒にレースラフティングを盛り上げていきましょー!!
また、ぼくの練習、大会の報告などはTwitterで発信しています。ぜひフォローしていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
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