予言者の話をしよう 1

noteでは初めまして。
この記事の概要を3行で書くと

「今日見たニュースで再び、理解させられたけど
あの予言者の予言、やっぱりあたってた。
追悼がてら、自分語りするわ」

です。
長いから連載にするし、結論だけを知りたい人は連載の最後へ飛ぶといい。たぶんあとで有料にするけど。

この話は時代の進歩と切り離せないので年次をあとからでも調べてわかっただけ追加していくとおもう。最初の言葉でわかるとおもうが、私は生きているのに予言者は死んだ。

第一章 弱かった私

私は1970年前後にうまれたアラフィフなうのペンネーム「増田アボガドロ」です。特徴は頭がよくて体が弱いことです。

小学校:(1970半ば~1980代前半)

一言でいうとアレルギー体質の活字中毒で、耳鼻科と歯科にはよく通っていました。読書力も語彙力も半端なかった。家にあった新聞、文庫本、子供向け百科事典や「家庭の医学」、公共図書館、食卓の調味料の成分表までありとあらゆる文字に目をつけた。今でいう『ハイパーレクシア』。ちなみに我が家のハイパーレクシアと呼吸器のよわさはおそらく遺伝的素質で、しかもセットで代々遺伝してます(4代確認)。

中学校~高校:(1980代前半~後半)

私立の進学校に通いました。図書委員とアニメオタクと文芸部と耽美小説はインドアのデフォルト。持病は喘息(アレルギー性鼻炎がちょっと進化した)と冷え性程度。運動部には所属しなかった。高校からは歯列矯正をした。顎がほそすぎ余った歯が横向いて生えたのを治した。
高校二年の進路相談ではなんとなく文学部いきたいと吐いたら「おまえなら国立理系いけるぞ、もったいない」っていつもふざけていた先生に真顔でいわれてそれもそうかなと従った。今でも間違っては居なかったと思う。理系で小説かいてる森博嗣さんとか海堂尊さんとか出たし。
けど自分は医学部だけはやめておいた。今でいうADHDかASDの自覚があった。おもしろい本に過集中するとうっかりで外科患者の体内にメスを置き忘れる(ブラックジャックのネタでありましたが昔から実際にあった医療事故)程度は平気でするだろうと思った。のちに、実際の大学理学部では時価1本3万くらいの実験器具を1つ壊した程度で済みました。
さて体の弱い子供が多いわが家には喘息や虫歯といった家族の病気を治すための本が購入され、暇な私はかたっぱしから熟読した。

ちなみに内容について少しコメントする
1冊目。喘息を治す本。
あまりいい副腎皮質ホルモンがでておらず、副作用のキツいベータアドレナリン刺激剤の対症療法しかないころの本。具体的治療内容は「一晩中ヤカンをかかえて水飲ませたら発作がおさまった子供がいた」。それは今おもえば朝になって気圧や湿度が上がって自然治癒しただけだし、漢方では逆に喘息は水が余る系の病気とされ、水が増える食物が禁忌とされている。
サンプルにされ無意味に水をのまされた子供は苦しかっただろうにとおもう。この本には「『おまえは病気だ』という刷り込みをするな。」とも書いてあった。たとえばハウスダストから遠ざけようと几帳面に家を掃除しまくるのはダメと。「子供を『病気にする』ようなプレッシャー行為でストレスを余計にあたえるなよ」ってのはまあそうかなとおもうけど、事例をみればサヴァイバーズバイアスが全く排除できていないので単なる教育方針の押しつけになりかねない暴論だと思う。母親になってみると偶然一回の発作をなおせた程度で発作の苦しみは終わらないのだから、本にして広めるほうがよほどプレッシャーであり罪深いだろうにと思う。
 
二冊目。朝日新聞「歯無しにならない話(1984)」https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=430。タイトルのだじゃれが印象深くてしっかり覚えていた。
「こんなひどい症例もこんなにマシに!だいたいこれをまもれれば歯周病は自力でくいとめられるよ!(けどこの本書いた医者にかかればもっと肝心な部分をおしえてもらえて、確実に診断され治療されるよ!とまわりくどくほのめかす)」という、ある意味で面白い内容だった。後から思えばどうにか医事法・薬事法上の違法出版にならないように工夫した書き方らしい。平成や令和には泡沫出版社がわりと平気で医事法違反ぽい自画自賛特殊治療本を出すようになっているその先駆けだったのかも。新聞の一面の一番下の書籍広告の本だって、だいたい医者本人を賛美して受診へ誘導するやつか、アンチ医療かどっちかになってるとおもう。
そのころはまだ歯周病を本人の努力で治すのなら「極力やわらかい歯ブラシで毎日30分(3分ではなく30分)欠かさずに歯磨きマッサージしてろ」くらいしかまともなアドバイスはなかったのだろう。子供が読んでも実用的とはおもえなかった。
今は強いストレスで数日のうちに急激に歯周病、歯根骨の溶解が進むケースがあることまでわかっている。毎日のマッサージがストレスにならなければよかったのだが。とりあえず歯の弱い父親は守っていなかった。

三冊目、家庭の医学は写真が昆虫図鑑同様にかなりグロかったが毒物中毒の項目がとてもおもしろかった。腸チフスや生梅による胃カタルなど古い病名が知れたので、古典の本を読むときに「今で言う感染症だな」「食中毒だな」と判定するのに役立った。

四つ目、父親がゴミにまぎれこませていた夕刊フジなどのエロ小説。女体(女児は自分では部位名さえたいてい知らない)についての理解や、こどもの百科事典にはのっていない受精の詳細についての知識がかなり深まった。けどイクときの描写はかなり大げさだとのちに知る。ファンタジーだからね…。


大学:(1990代前半)

世は平成になっている。理学部でサークルは軽い運動系。試合直前の合宿で、旅館の安くて汚い畳部屋にとまると3日目から喘息が始まるのがいつもつらかった。当然、普通に体が強い大学生たちに比べると試合成績もあまりよくなかった。
私の年下の兄弟のうちの一人は、私より喘息がひどかった。のちにそのケアも兼ねて医学部に進学した。
この兄弟がいつだったか、高校の自由課題で漢方薬をしらべていた。資料本が放置されていたので増田アボガドロも読破して漢方に興味をもった。女性内科医の執筆したその本にはこんな忘れがたいエピソードがあった。(30~40年前のうろおぼえだからタイトルも細部も不詳)

「漢方薬は証(=患者個人の体質と症状)にあわないと意味がない。
葛根湯という漢方薬がある。メジャーな風邪用の漢方薬で、カコナールの名でOTC市販されており誰でも飲める身近な漢方薬の一つだ。だが、普通の薬局の薬剤師は相手の証までいちいち見ないし、市販葛根湯は顆粒にすぎない。
ある日、生薬から煎じたほうがもっと効くはずとおもって実験をしようと思いたった。そのために研究室で葛根湯を煎じていたところ、研究室に入ってきた学生達は全員、『薬臭い』と騒いだが、一人だけ『おいしそうな飲み物をつくっていますね』といった学生がいて、診察するとばっちり風邪だった。それが中国内科医のいう、『証が合っている』ということだろう」
「同じ漢方薬を何年も飲むのは無駄で、体に合った漢方薬を飲むと最速で1回、長くても1週間のみつづければ直る。直ったかどうかは、患者にとっておいしかった薬の味がまずく感じるようになるからわかる。まずい漢方薬を体にいいからと何年も飲ませ続ける薬局は、証診断もできていない金儲け主義なので、信用してはいけない。(ただ、証があっていても耐えきれる程度のまずさに感じる漢方というのはあるが、それでも年単位で長く飲む意味はないだろう)」

4年生の冬に重い生理痛が始まる。同級生の女性のなかには生理が重すぎ、鎮痛剤を乱用しすぎて鎮痛剤を飲んでも効かないがのまないときは頭痛がするという最悪な状態になっている人もいた。だがそのときばかりは鎮痛剤ところじゃなく痛んだ。今どうしているかはしらない。

就職:(1990代半ば)

面接で「体は丈夫ですか」と聞かれて「人並みには動けるとおもっています(主観では)」と解答した。専門知識試験の成績がよかったのであとの質問はタカビーに答えた(「あなたはうちでなく○○にいかないのか?」との質問→こちらでほしい人材は『○○にいった私』か『いかないですぐ働く私』かどっちか?と問い返す。四卒の私でも働けると思うのなら採用してくださいといった)らサクッと受かった。なお直後にバブルはじけて就職氷河期。○○いかなくてよかった。
というわけで提出書類読んでかたくるしいお言葉でお返事を書くだけで高めのお給料がもらえるお仕事についた。これでどれだけ自分の体の治療に費用をかけても親兄弟に迷惑や負担をかけないのだ。しかしそこで私の体は…

病気のデパート

…になってしまった。まずは就職時の引っ越し大掃除のハウスダストどっかんばったんで病院にかけこみ点滴(入院はしないが、初の「殺す気か」事例。
歯のかみ合わせ不良(歯列矯正終了後のゆりもどし)、頭痛、腰痛、肩こり、喘息、二人目不妊…。残業の多さで夕食が不規則で胃腸診断も出たし昼ご飯食べただけで自分だけ吐き戻したこともある。あと子供を産んだ後あたりからパワハラにあって抑うつ気味。
 なおパワハラについては、20年くらい後に、外部男性と女性職員が結婚するといやがらせしていびり出す文化があったらしいことに遅まきながら気付く(女性職員は男性職員と結婚してほしいため)。なお女性職員が男性職員となかよくなって結婚したケースは、もともと同室の場合片方を強引にどこか別の部署に飛ばすことは噂で聞いていた。
とにかくいろんな不合理な圧がひどかった。飲酒・喫煙への同席なども強制だったし(同僚の一人は組合に訴えて家になんども帰れなくなるまでつきあわせた管理職をあやまらせた)、振り袖着ろとか合皮でなく天然皮革のハイヒールはけとか。
そういう「おすすめ」「アドバイス」「したほうがいい」「あなたのため」がすべて全く信用できない。だって私の体はオリンピック選手ほど強くはないままなのだから。受診しようにもどこがいいかが自分で判断がつかない。自分でどんな病気かの診断をあらかじめつけなきゃ何科を受診していいかわからない。内科では一種類の病気を訴えたらそれについてだけ薬がでてのみおわったらまたきてねと囲い込みをされておわり。不定愁訴というやつだ。

そういえば、このころ医学生になった兄弟に、漢方つかえる万能内科医になってくれないかと一回頼んだが語下に却下されたし、実際別の科の医者になった(呼吸器科やアレルギー科でさえなかったのは、喘息向けに性能のいい吸入剤がどんどんでてきたころだからだろう)。

時は1990代半ば。ニフティサーブはじめ初期のインターネットができていた。それにハマっていろいろ自分で(自宅にネット回線をひいて)しらべたり連れ合いの不要品(カメラや特撮おもちゃなど)を(了解とって)ネットオークションなどで売るようになった。ネットは無限大の図書館なのだからハイパーレクシアに与えれば依存する道理だ。携帯での銀行・証券取引もできたが数年後インサイダーを疑われたりもした(国内株はおおむねヤバいと予測できていたので外国為替口座にしたからインサイダーにはあたってない)のちの韓国ネットメディアNAVERまとめなどといった医療知識爆発はまだおこっておらず、それどころか店や機関の大半がサイトをもっていない時代だった。

一件目の漢方医(口コミ)

そのころ、連れ合いから休みがちときいた舅に「あなたは体が弱くて気の毒だから一緒に漢方薬のI先生のところにいこう」といわれた。予約が必要な人気の医者で、断食道場を開催していて元都知事も通っている。いろんな不定愁訴を漢方薬膳で直すための本も何冊かかいていてその一冊をタダでもらった。読むと以前読んだ本よりは実効性のありそうないろんなレシピが載っていた(アレルギー性鼻炎には○○で鼻うがい、程度だが)。予約も舅がとるからというので一度だけ義理でいった。証という言葉が頭をよぎったが、実際お腹と舌をみるちゃんとした漢方の診断ははじめてうけた。だが私の症例に対する漢方薬の処方はたしかほとんど出なかったし、もっと太りなさいといわれるだけだった。ちなみに日本の厚生労働省から医師資格をもらっている内科医である。

二件目の産婦人科 (1990代後半)
市役所のサイトで選んだと思う。近所で評判がよかったし、助産婦主催の妊婦ヨガは効いた。毎回即座に寝てしまった。
でもいざ本番出産となると産褥熱にかかって40度の熱が出た。どうやら産後に胎盤を掻き出す処置が中途半端だったらしく(普通は腹圧でひねり出すのかしらないがうちの子は過熟児で陣痛促進剤利用だったので促進剤の点滴抜いたら後産が残った。それが放置後数日で体内で腐りでもしたようだ)それ以来何回トライしても二人目不妊でこまっていた。

三件目の漢方薬局 
女性向けの不定愁訴にもきくと謳う漢方薬局をネットでみつけた。そこは腹の硬さと舌の写真をメール添付しておくるだけで遠隔処方してくれるということだった。ちなみに診断や処方は日本では医者しか実施してはいけない。よってギリギリ法の抜け道をつかっていた。所定の薬を売るときに、日本薬剤師資格と中国薬剤師(中医士)資格を持った人が診断ではなく薬選択だけするという独自のサービスを付け加える形態。しかも不妊治療希望に対して送られてきたのは牛黄+ニンニクエキス(体力増強。値段が高い)と大瓶の胃腸増強漢方(大部分ふすまで漢方なのに安い)の処方で、半年ほど飲んだとおもうが二人目妊娠はしなかった。

四件目の内科小児科
子供がおせわになってるやさしい近所の小児科、自分が風邪をひいたときにもいってみた。だが二人目の子供を妊娠している可能性がある女性にはいかなる風邪薬も抗生剤も飲ませられないので、一応副作用がないとされる胃腸の漢方をだされただけだった。その上、その漢方は(証が合ってるはずもなく)きかなかった。ちなみにこの先生、やさしいのにひどいアトピーらしく、落屑がぱらぱら浮いてる赤ら顔で、顔立ちはハンサムなんだから、医者なら自分で治せばいいのにとおもった。

五件目
職場で妊婦でホメオパシーにハマってる人がいてすすめられたけど自分はそれはハマらなかった。そのすぐあとで炎上した

六件目の職場カウンセラーとメンタルクリニック
連れ合いが転職して遠方に行くことに(2ヶ月猶予あった)。保育園の子供をつれていけないのですぐにやめてついていくべきか(子供と父親は仲がよかったので)、離婚前提で働き続けられるよう母子で実家に帰るか、2人とも新幹線通勤するか(品川あたりにマンションを買うとか)。迷って2ヶ月毎日泣いていた。カウンセラーに予約とったがなにもアドバイスしてくれなかった。メンタルクリニックでは簡単なおくすりをもらってぼーっとできたがいずれにせよぼーっとしててもだれかがかわりにひっこししてくれるわけではないので飲むのを辞めた。結局、1年単身赴任してもらって、その後、子供の入学と自分の資格取得を機に職を辞して連れ合いのところで資格事務所開設して主婦に近いかたちのパートタイム士業をするという結論がでるまでが辛かった。

それからも歯科医、不妊治療、花粉症のためのアレルギー科などありとあらゆる医療機関に不調をなおしてもらいに通ったが、喘息用に毎日吸入する副腎皮質ホルモン薬以外はあまり効果は感じられなかった。毎年3月に医療費控除ばかりしていた。

そして運命の医者にであう

以下次号


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