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父の人生を変えた『一日』その100 ~夢と希望~

その100 ~夢と希望~
 人生は環境によって非常に変わるものである。新幹線のように高速人生もあれば鈍行列車のようなゆっくりした人生もある。茨城生まれの田舎の少年は母親の教えで鈍行列車に乗る予定であった。『―人生を変えたあの1日』が無かったら鈍行列車に間違いなく乗っていたのである。
海外研修旅行もキャンセルしなかったら今頃、黒煙の中に収まっていたのである。
『人生を変えた1日』を紹介することによって若い人たちにすこしでも「夢と希望」を与えられればと思って書き続けてきた。その結果、田舎の少年は英語との出逢い素晴らしい人生経験も出来たし色々な人との出逢いもあったのである。ある意味で波瀾万丈の人生であったのかもしれない。
 ライオンはまた歩き始める。新しい人生の物語を作るためにしっかりと2本の脚で大地を踏みしめて頑張っていく。最後に息が止まるまでしっかりと力強く生きたいと思っている。アメリカの大地での数々の思い出を胸にしまい込んで日本の新潟県長岡市で生きていきます。長い間ご静聴ありがとうございました。これからも読者のご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。
―完―
ライオン拝


~倅の解釈~
 最終章に「解釈」を書くことを数時間、悩みに悩んだ。はたして「解釈」って正しい表現なのか。果たして、親父が言いたいことが、やりたいことが、伝えたいことが「解釈」をつけることで不透明になるんではないか。このまま、親父の言葉だけで、細かなところを修正しただけでもいいのではないのか。
 色々と悩んだ結果、第1章を書くに際しては、家族経営が圧倒的に多いこの日本で親父とその倅が繰り出したドラマを共有することで、親父の「想い」がより伝わりやすくと思い書き始めた。
 ただ、最終章の「倅の解釈」は結論、一番悩んだ。親父の文章を「解釈」することは最終章に限ってはやめさせて頂く。この最後のコラムを活用させて頂き、親父に感謝したい。心から。
 親父
 このように文章を残してくれて、ありがとう。
 世界を経験させてくれて、ありがとう。
 反抗的な倅なのに、厳しく指導してくれて、ありがとう。
 試練をあたえてくれて、ありがとう。
 そして、何よりも、
「水澤電機を残してくれて、水澤電機のスタッフを残してくれて、ありがとう。
 永遠に親父と共有できる宝物が出来ました」

 
 まだまだ、沢山の「ありがとう」があります。永遠に書ける気がします。残念ながら、生きているうちに伝えることが出来ませんでした。「親父の死」という事で社長になった私です。人間として、まだまだ未熟でまだまだ、これから様々な苦労をして、多くの徳を積まなくてはなりません。そういうためにも、甘いのかもしれませんが、このように親父に対して、一つけじめをつけさせて頂きました。

2016年、4月2日、親父は亡くなりました。本日が2020年、3月28日。間もなく、親父が亡くなってから、4年がたちます。4年間もかかりましたが、原稿が完成しました。

 これから、さらに文章を編集して、一日でも早く親父の夢であった「若い人たちに夢と希望」をという思いを「出版」と言う形で実現したいと思います。その本を持って、親父がこよなく愛した、アメリカ合衆国、ワシントン州、シアトルへ、親父の魂を一緒に連れて近い将来、行きたいと思います!!

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