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父の人生を変えた『一日』その21 ~息子の空手との出会い~

その21 ~息子の空手との出会い~
 息子は小学生1年生でシアトルに来た。娘は3歳であった。息子はアメリカに着いた翌日からシアトルの小学校に通った。土曜日だけは日本人学校(補習校)であったが月曜日から金曜日まではアメリカの小学校であった。毎日、アメリカの国に忠誠を誓って(The Pledge of Allegiance)から学校の授業が始まった。完全に子供たちは頭の中がアメリカ人に成ると思った。そして日本語をだんだん忘れていくと思った。自宅では英語を使わせなかった。親は考えた。どうやって日本人である事を意識させるか。お前たちは日本人なのだと教えたかった。そのチャンスはすぐに巡って来た。
家の近くに空手道場があった。お前たちは日本人なのだと言って日本古来の武道空手を習わした。毎日5時間5年間息子と娘は空手に熱中した。娘は最初空手道場がお昼寝の場所であった。空手を習い始めて1年半後息子はワシントン州のチャンピオンになっていた。西海岸の4州での総合大会がカルフォニア州サンディエゴで行われると言う。息子と空手の先生はI-5(高速道路)を一路南下して8時間かけて車で大会に挑んだ。この大会で3位までに入賞すると全米大会に出られると言う。
「まさか」と思った。お前が選ばれたら家族そろって全米大会に連れてやるよと私は啖呵を切った。試合終了後、息子からコレクトコール(着信払い)で電話があった。
「優勝した」と。とんでもないことになった。全米大会ニューオリンズである。


~倅の解釈~
 ここでは私自身が記載されている。まさしく私と空手道の出会いである。父は柔道と少林寺拳法の有段者であり、日本人の「心」をどうしても忘れてほしくないという一心で空手道を進めてきた。でもこの話には裏がある。
 初めて近所の空手道場を訪問した時を鮮明に覚えている。ガチガチの組手をしており、幼少期から軟弱な私は「絶対に嫌だ」と。しかし、父はここであきらめなかった。初めての訪問から数週間後、父から「映画見に行くぞ」と。アメリカでは映画は娯楽の大産業。見るのも安いし家族で行くこと自体が週末の文化と言っても過言ではないほど。家族そろって車に乗って映画館へ。アメリカの映画館は日本と少し異なっており、入場券を購入したら中に入り、そこからはどの映画を見てもいい。何回でも。映画館に入り次第、父が指定した映画を家族で見た。この映画が。「ベスト・キッド」~Karate Kid~である。
 見終わって私の第一声は「親父、空手やりたい。あの道場連れて行って」その足で道場に行き、入門した。今になって分かった事だったが、当時のお金で月謝は100ドル以上。空手道という習い事はアメリカでは一つの経済産業として確立されており、費用を考えると相当家計を圧迫する習い事。でも父は習わせてくれた。そこから空手道にはまり、現在に至っている。
 この空手道との出会いが無ければ今現在の私はない。空手道を通じて学んだ。武道としての大事な『道』の教育は大人になっても通用する。今現在、水澤電機の2Fにて空手道場悠空会の稽古を週に2回ほど指導させて頂いているが、未来の子どもたちに私が経験したことを是非とも経験してほしい。
 7歳の時、州の大会で優勝し、そのまま西海岸地区予選のためにサンホゼへ。家計もさすがに苦しかったので、先生の車に便乗させて頂き、大会へ。現地では持参したお金が足りなくなり、先生から借りた記憶が鮮明に残っている。ここでも優勝してしまい、家族そろってニューオリンズへ。
家族会議の結果、家族全員で行くことに。貧乏な家族なのに行けたのは祖父(水澤電機初代創業者)から出して頂いたからである。そこから形・組手共々の全国優勝が6年間続く。本当に両親や祖父には金銭的に迷惑をかけたと思い返せば反省する。ただ、この経験から学ばせて頂いたことは無限大であり、今度は私が地域の青少年へこのチャンスを恩返しする番である。

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