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父の人生を変えた『一日』その99 ~シャミー~

その99 ~シャミー~
 アメリカに駐在して家を借りた。シアトルの隣町、ベルビューのベルビューコミュニティーカレッジの裏側であった。先輩が借りていた家を引き継いで借りてほしいと大家さんは言ってきた。日本人はきちんと支払いもしっかりしいるしそうして欲しいと言った。そのまま借りることにした。契約書をよんでみた。中にNo pet allowedと書いてあった。つまりペット、犬などは飼ってはならないと言う事である。3歳の娘はクリスマスが近づくとサンタさんに子犬が贈り物で来るようにとお祈りしていた。ライオンは困ってしまった。そして大家さんとかけ合った。
「ライオンさん、それなら娘さんの夢をcome true実現させてやってください」
と大屋さんは言った。更に
「ライオンさんpuppyパピーにしてください」
と言った。
パピー意味わかりますよね?はい、そうです。そう、大きな犬ではありませんよ。そしてやっと子犬を飼った。最後にはこの犬かなり大きくなった(笑)。非常に人懐こい賢い犬であった。この犬はライオンが買わないと動物園の野獣の餌になるかもしれない運命の犬であった。娘の喜びようは大変なものだった。小脇に抱えて毎日娘と一心同体であった。Shammyシャミー娘がつけた名前であった。
 駐在任期が終わりこの犬をどうするか家族会議が行われた。妻と息子はアメリカの犬なのでアメリカの友人にあげて日本に帰ろうと言った。娘の有香は目に涙一杯浮かべて日本に連れて帰ると言った。社宅では飼えないと言ったら私の取手の姉の家で飼ってほしいと言い出した。そこならいつでも会いに行けると言った。親父に似て頑固な娘だった。結果日本に連れて帰り取手の姉に飼ってもらった。そして、㈱トーメン円満退社して水澤電機に戻るときにその犬を長岡に連れてきた。非常に賢い犬で約17年間生きて今、長岡の東山動物霊園に眠っている。この犬もライオンに喰われてしまう運命のなか太平洋を渡り日本に来てそして天寿全うした波瀾万丈の人生を送った犬であった。盆も近いのでシャミーの墓参りに行こうと思った。


~倅の解釈~
 懐かしい。シャミー。妹が何度も何度もお袋にダメだと言われながらも親父が実現してくれた家族の一員となったシャミー。真っ白なフォックステリアとプードルのミックス。彼女を買いに行ったときのことを鮮明に覚えている。
 クリスマス前に、おふくろが色々と調べたんだろう、ヒュメインソサエティーという殺処分される動物を何とか貰い手を探す団体に行った。そこで、ひとめぼれでシャミーを選んだ。係の方は、ミックスなので人気が無いんですと言われ、でもシャミーの愛嬌に妹はぞっこん。すぐに家に連れて帰った。
 初めて家族4人に1名新たな家族が加わったクリスマス。未だに覚えている。当時、シアトルでは雪が降っていて、寒くて散歩に行かないシャミー。家のガレージで住ませる予定だったが、結局、妹がかわいそうという事で、家の中で飼うことに。
 親父の記載の通り、波乱万丈の人生を送ったシャミー。我々家族が日本に帰国する際に、手続き関係で、成田空港に3週間ほど待機しなくてはならなかったシャミー。迎えに行ったとき、物凄く喜んでいた。懐かしい。そのまま、茨城の取手の親父のお姉さん宅へ。会えるといっても寂しかった。
 そして、その数年後、長岡へ来たシャミー。妹は喜んでいたんだろう。私は当時アメリカへ留学中だったので、長岡でのシャミーとの暮らしは経験していない。
 ネバーエンディングストーリーとうい映画に出てくる白い犬のキャラクターにそっくりだったシャミー。懐かしい。本当に懐かしい。


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