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父の人生を変えた『一日』その98 ~死ぬまで勉強~

その98 ~死ぬまで勉強~
 3枚分の黒板は英語の単語でびっしり一杯になった。田舎の少年はフッと息をもらした。今日も又、かなりの英語の単語を覚えたと。
齋藤誠三郎先生は普通の英語の先生とは異なった勉強方法もした。たとえばmonoモノがでるとモノは一つを意味し、monorailは一つのレールでモノレールになりmonotoneは一つの音で単調の意味になりmonopolyは独占でというようにmonoから始まって単語が派生して類型付けしてでてくるのである。
 齋藤先生は更に自分の周りのカタカナを全て英語にせよと命令したこともあった。レストラン・テレビ・デスク全てカタカナが英疑に変わっていった。毎日スパルタで教育されしかも砂に水が染み込むように若い脳はどんどんと英語の単語を覚えていった。最近の話であるが息子から「説明責任」は英語で何というのだと質問された。私はaccountabilityアカウンタビリティーと答えた。息子もなるほどとうなった。
 更に略語たとえばSDFは自衛隊Self Defense ForceとかMOFはMinistry Of finance大蔵省等のようにabbreviation略語はほとんど覚えていった。高校生になったときたぶん普通の外人のアメリカ人より私の方がvocabulary語彙・単語の数は多いのではと思った。それくらい毎日、英語の単語との戦いであった。我が人生を変えてくれた人生の師、齋藤先生に再度敬礼である。


~倅の解釈~
 親父の社長室にあるデスクにはいつも辞書が置いてあった。インターネットでなんでも簡単に検索できる時代ではあるが、親父は辞書をこよなく愛していた。英和辞典、和英辞典、英英辞典といつもデスクの上に置いてあった。結構、社長のデスクは飾り物、見栄っ張り的なただ単にカッコいいから置いておくものなど多いが、この辞書は違った。いつも場所が変わっていて、ボロボロであった。
 親父の口癖は、沢山あるが、「もっと勉強しろ」という言葉を一番多く聞いたように思う。勿論、自分自身にも課したことであった。親父の言う「勉強」とは本当の勉強である。セミナーに出て、楽しく面白く学ぶことや、DVDなどを通じて経営の勉強や経理の勉強法などなど近年は情報が沢山ある中、「勉強」という概念が少し変わってきている。親父の言う勉強は「本を読む」、「ノートに聞き出す」という本当に古典的な勉強法のことを言っている。
 「とにかく本を沢山読め」とよく言われた。「ポルノ小説でもいいから活字を徹底的に読め」私が忙しい振りをしていると、よく叱咤されたものだ。親父は本を読むことが癖のように読み漁っていた。これこそ勉強なんだと言わんばかりに。
 今もなお、親父の本を読むスピードについていけていない。親父が亡くなったときに自宅へ持って帰った本と自分自身で購入した本で山になっている。もっともっと、本を読むスピードをあげないといけないと最近痛感している。もっともっと勉強しないとと。本を読む時間を作るのではなくて本を読むこと自体を癖にする。これが重要である。24時間365日、学ぶ姿勢を貫き通した親父。まだまだかもしれないが、親父の背中を追いかけたい。親父の教育に対する探究はまだ終わっていない。私がしかと継承していくのである。

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