ラジオに生かされる

「盛者必衰」これは世の理であるのだろう。これは、過去の歴史や、経験則的に理解しているつもりだ。だが、僕はこれに寂しさをよく感じる。例えば、好きなプロ野球選手が引退して一つの時代が終わったといわれること。子供のころから慣れ親しんだアニメ、漫画が完結したこと。この世には始まりがあれば終わりがある。当たり前のことかもしれないが、何かが終わるたびに寂しさを感じていた。これまでの生活に当たり前にあった、生活の一部だったその当たり前がなくなることは、その時の記憶と結びついたそれまでの生活が終わるようで喪失感のようなものを感じていた。だが、この考え方が更新されるできごとがあった。それは、星野源のオールナイトニッポンで細野晴臣との対談での目標についての話だった。
「目標って山登りのようなものだと思うんだ。目標は、昇り続ける、高みを目指し続けることが大事って言われているけど、そうではないんだ。山登りは下ることも大事なんだ。坂は上がったらくだらないといけない。ずっと頂上に居続けることはないだろう。そして下っていくということも面白いということをもっといった方がいい。下りの方が足を使うっていうしね。そして、今はその下りの途中でこれから昇ってくる若者がいて、上りと下り、そこで交わり、立ち話をしたり、そんな気持ちなんだよね。」
僕の心の中で何かが弾んだ。そうか。これか。終わっていくことは、決してつらく、悲しいことだけではないのか。むしろ下っていく、終わっていく方が大事なのかと、だって坂道を下る方が、気を抜けばスピードが上がりすぎてバランスを崩してしまう。そのスピードを調整するために、筋肉を使ってスピードを調整し、バランスを保つ技術が必要なんじゃないか。ただがむしゃらに進む、上る上り坂とは違って、下り坂は技術が必要とされる。これはなんだか人生に通じる深い何かがあるんのではないかなんて考えながら、まだ結論は出せていない。これからゆっくり探していきたい。そして、そんな価値観が更新された出来事の後、今話題となっている、ジブリの宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を見てきた。なんの宣伝も内容も分からない、謎のベールに包まれた作品だった。簡単に、これをみての感想は、宮崎駿が作り上げた作品のすべての源泉であると感じた。宮崎駿の表現のすべて、そして、自分のこと、もう自分の時代は終わった。次のわかものたちに託すという自分の想い。宮崎駿のすべてがそこに詰まっていた。確かに賛否両論あるだろうなと感じた。けど僕は確信した。宮崎駿は山を登り、そして下りっきった。やり切ったのだと。ラピュタや、千と千尋の神隠し、トトロなどまさしく山を登り、頂上である場所から、ポニョや風立ちぬ、そして君たちはどう生きるか。まさしく、愛される作品から、技術を使って、自分の想いを伝える作品まで、上りから下りまでやりきったのだ。とても面白かった。しかし、山は昇ればくだらないといけない。この感覚がなければこの面白さはきっと感じられなかっただろう。よかったラジオを聞いていて。

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