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随想、お砂糖という文化について

始めに

まずはこのノートを開いてくださり、ありがとうございます。まっしろたまごです。このノートは私がぼんやりと考えた思考の吐き出し、随想であるということを留意したうえでお読みいただけるようご理解をお願いいたします。

本文

お砂糖という文化が、VRChatにはある。仮想現実というまだ仮初と言って差し支えない世界、そこで紡がれる本物の気持ち。

この言葉の語源はおそらく、『お砂糖のような甘い関係』に起因する。それ即ち、これが広がりを見せ始めた頃はVRChat上の恋人的な意味合いが強かったのではないだろうか。しかし現在、このお砂糖という関係は親友や相棒、パートナーなどと言った意味合いが大きくなってきているように感じられる。

 

しかし、私はこれを特段問題だと思っていない。近年人口が増加した都合上、比例してお砂糖するVRChat 民も増えていく。そこに多くの価値観が存在し、『お砂糖』のあり方が多様化していくというのは自然なことだろう。

 

だが、問題も確かに存在する。察しの良い方はお気づきかもしれないが、私が問題だと思っていることは『多様化したお砂糖にそれぞれ対応した呼び方がない』ということだ。私の観測した限りでは『多糖類』という存在が観測されたが、それ以外に目立ってるものは目に入らなかった。(リサーチ不足かもしれない)

では、具体的にどのような問題に直結するというのだろうか。それは、『お互いのお砂糖に求める距離感のすれ違いによるお塩』である。一つ例を挙げよう。

 

 

一組のお砂糖が別れた。別れ話の最中に、片方は相手を恋人のように、片方は相手を親友のように思っていたことがわかった。恋人のような関係になると思っていた彼は次第に寂しさに耐えられなくなってゆき、もう片方は『親友にしては重い』と煩わしさを覚えるようになった。そんな関係が続いたある日、別れを切り出すに至ったわけだ。

 

 

 

上の例は私が二秒で考えた。見かけたとか体験したとかそういうわけでは断じてない。本当に。マジで。

私が体験した云々はどうでもいい。この例でミソになってくるのはやはり、『お互いの価値観が違った』というところである。はっきり言ってよくあるVRChat の風景だが、私はこのような形で別れる人々を減らしたいと考えている。無論、考えているだけで何か大きな動きを起こすことができるような人間ではないためnoteの下書きでぼやいているのだが。

 

話を戻そう。では、どうすればこのような別れ方をする事例を減らすことができるだろうか。それこそが『多様化したお砂糖にそれぞれ対応する名前をつける』ということだ。

要は親友に近いなら〇〇、相棒に近いなら〇〇と言った風に棲み分けをしようという話だ。つける名前はグラニュー糖でも氷砂糖でも粉砂糖でもなんでもいい。そこら辺は私よりももっと賢くてトンチの効いた人に任せよう。

 

ここまで長々とお砂糖文化の名前について考えを巡らせてきたが、正直言ってこれでお塩事例が減るとは思っていない。名前でわかるのはせいぜい求める距離感程度、深く付き合っていくのであればお互いのことを知って尊重せねばならないし、地雷なんかも把握しておかねばならないだろう。だが、これも基本的には当人間の話し合いで決定されるべきことであり、外部の人間が介入すべき問題ではない。

 

そこでも私は考えた。『なら、それらを一目でわかるシートにでもまとめてしまえばより話し合いが円滑になるのではないか』と。そう、要するにチェックシートだ。他のゲームの界隈に属したことがある人間であればなじみ深いであろう、使うキャラクターは〜とかインする時間は〜とかがまとめてあったりして固定ツイートとかになりがちなアレである。えらいふわふわしたイメージだがまずこの文章を誰かに見せるかもわからないのだ。自分でわかっていればいいだろう。

これのお砂糖に求めるものとかまとめたやつ作ったらなんかいい感じになるんじゃないかなって。GameWith様にお借りしました。

 

人間というのは厄介で、ついつい一時の感情に身を任せがちである。しかしこれは好きという感情を否定するわけではない。むしろ、ブレーキをかけがたい感情であることは私自身も身をもって知っていることだ。そう、知っているからこそ悲しい思いをすることも、させてしまうこともたくさんあった。だからこそ似たようなことで傷つく人を減らしたいと思っているが、結局のところ自戒にも近い。私自身が悔い改めるためぼんやりと考えた文章で誰かが悲しい思いをせずに済むのであればそれはとても喜ばしいことだろう。

 

 

最後に、この文をまとめ終わって一度読み返してみたのだがまぁひどい。読みづらさここに極まれりだ。

木端物書きである私のちっぽけなプライドと、人生の大部分の決定を背負っている『めんどくさいか否か』を天秤にかけた時、勝利したのはやはりめんどくさいという感情だった。よってこの怪文書は読みやすく改稿されないまま投稿される。物議を醸したらその時に考えよう。

終わりに

ここまでお読みいただきありがとうございます。稚拙な文章ではありますが、最近よく聞くことについて興味関心の赴くままに考察しました。次回のnote更新は読書感想文をきちんと読みやすい形にまとめて投稿する予定ですので気長にお待ちいただけると嬉しいです。

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