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政治、民主主義。

 自分が政治が苦手なのはたぶん、知識の殴り合いみたいなことが、イマイチ苦手だからなのかもしれない。
 知識豊富な人はすごいなあと思って自分も勉強してみたりするけれど、すぐ忘れてしまう。多分、誰かを説得するための知識、というのに全く興味がない。ということにだんだん気づいてきた。
 そんなんで、政治に関わることってできるんだろうかと思うのだが、政治に限らず、知識によらず手ぶらで話す、ということができるのか、ということなんだろうと思う。
 数や、具体例には説得力があるのでつい使ってしまう。聞いた人も、ほーなるほど!と思う。(多分ほとんどの人がすぐ忘れる。)そんなんでいいのかなあとずっと思っている。
 三谷幸喜の映画で、『12人の優しい日本人』というのがある(アメリカ映画の『12人の怒れる男たち』のパロディ)。あれ、12人の陪審員たちが集まって、交通事故なのか殺人なのか、みたいなことをああでもないこうでもないとずっと話し続けるだけの映画なのだが、ちょっと話がまとまりかけると、誰かが、反対意見を出して全然まとまらない。ものすごくイライラする映画だ。
  しかしながら、何だか感銘を受けるのは、中盤(終盤?)。やっとまとまりかけた時に、多分個性溢れる12人のうちでもあんまり目立たないおじさんとおばさんが、「なんかちょっと納得いかない」という理由で、反対票を投じてからのことだ。整然とした理屈を並べられる訳でもなく、皆んなを説得できるわけでもないので、皆んな怒る。せっかくまとまりかけてたのに!と。でも彼らは頑として聞かない。そのうちに助け舟を出してくれる人が現れて、真逆の結論へと向かっていくのだ。(最終的に、どっちが正しいのかはわからないんだが、何というか、納得のいくラストだった気がする。)
 なんかおかしい、という時に、相手を説得できる知識や論理的な力がなくても、踏みとどまれるか?となんだか妙に感動してしまった。そしてみんな、めんどくさい、とか嫌々ながらでも、最終的には被害者や被告人のことを真面目に考えている。
 理路整然と話せる思考能力のある人も、平凡なおじさんおばさんも、いろんな人がいろんな立場でいろんな意見(?)を述べる。それらの重みが皆対等だ。という不思議な映画だった。登場人物がそれぞれに皆ちょっとうざったい、というのも特徴だったと思う。
 民主主義、という言葉に触れるたびに、あの映画を思い出してしまうのです。

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