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喜ぶこと 喜ばせること

今読んでいる本にあった言葉から、ふと幼い頃のわたしを振り返ることになった。
喜ばせることが得意な子どもの話
わたしも母や仲良しの友達を喜ばせることをよく考えていたなぁと。
小学生の頃、母と長いこと交換日記をしていた。
母は、なにを書いていたかな。
いつもの字で思いのままに書いていただろうな。
わたしは、
・今日はこんなことがあったよ
・わたしこんなことできたよ
・今日のごはん美味しかったよ
このようなことだったと思う。
本心だったと思うけれど、喜ばせることを優先して書いていたのではないか?とふと思った。
ママが喜ぶとわたしも嬉しいから。
もしかして感心な子を演じていたのかもしれない。
それはなぜだろう。
ある友達のことも 喜ばせることを優先して、逆に期待させていたかもしれない
他の友達にはそうでなかったけれど、あの子にはそうしていた
ママと幼なじみのあの子
2人の共通点はすぐ表情が曇ること
わたしはそれが怖かったのかもね
わたしのどこかに恐れや不安があって 共鳴していたのかな。

でも、今は2人とも穏やか 平和 
あの頃2人は、なにか大変だったのよね きっと。
若かったし。
決してわたしのせいじゃないのに、わたしのせいだと思っていたのかもしれない。
だから機嫌をとって満たしていたのかもしれない。

少ししか思い出せないけれど、わたしは興味のないことには、手を出さない。出せない。さらっとやっていたら楽なのに、どうしてもやりたくない人なの。
周りの友達はさらっとやるのに。
どうしてやらないの?
と家族や友達に聞かれるけど、どうしてか分からなかった。
今は「やりたくないからやらないの」
と、言い切れるし(仕事においてはまだ練習中)、やらないということに責任も持てるようになった。
しかし、幼い頃のわたしは やらない選択をしていることに自信もなく、むしろやれない人なんだと、どこかで自分をjudgeしていたのかもしれない。

あの頃はよくあなたは要領が悪い
と言われていたなぁ。
人に言われると、自分ってそうなんだ〜わたしって要領が悪いんだぁって決めつけていた。

周りの人の言葉や対応って、良いこともそうでないことも
わたしはこういう人
と人からのjudgeを言葉をオーラにくっつけて暮していくことになるみたい。少なくともわたしは。

自分の本質とは何か。
人から言われた言葉で自分を作ることでなく
自分の心と言葉や行動が一致して暮らすことなのではないかな。
誰かを喜ばせることで 承認欲求を満たそうとしていたあの頃のわたし

今は自分のすることに自信をもって
自分で自分を喜ばせて
わたしがわたしでいることに幸せを感じて
自分の心と言葉や行動が一致しつつある。
ナーバスな時も、そこにどっぷり浸かっていいという許可ができるようになり、さらにはその後にきっと最高のギフトが待っていることも知ることができた。
わたしが満たされていることで 家族を喜ばせることをしなくても 家族も友達もしあわせそう

あの頃だって きっとそうだったのだろう
自分でその枠を定めて苦しんでいただけ
その頃のわたしに 光を送ろう
よくやったね
今 しあわせだね








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