詩の実験室1

「砂 景」

  浅瀬に人影がうかんでいた
  ゆらゆらと動いているのは髪の毛ばかりで
  まだ生きていた父とふたり
  はるか野の際をいく船に手を振り
  斜面の草をゆらす風に
  白い花びらをちぎっては散らした
  
  別れのはじまりはこんなにも唐突で  
  わたしはふいに折り重なっていく予感に
  編みあげた冠をかぶることも忘れて
  鈍色の裂け目にのまれるように遠ざかる
  父の背中を見送った

  しうしうと
  砂の降る音がする
  垂直に交わる部屋の四隅から
  天井から 桟から 扉から
  威嚇するヘビに似た金属音を発しながら
  わたしの背後にみるみる砂山を築いていく

  気づけばすべてが砂であった
   
  崩落の中に溶けていく万象
  徐々に霧散していく諸々のかたち
  何者かの手によって注がれる力の帯が
  徐々に虚空へと引き上げられると
  かたちは輪郭を失い 砂粒となって崩れ落ちる
  形象にすぎないわたしたちの
  日々の磨耗とその消滅

  (人の目は気づかない
   きのうのあなたはもう あなたではなく
   今日のあなたも
   明日には あなたではなくなること)

  浮かぶ人影を見た日から
  幾度目かの年の六月の真昼
  父は白くかぼそい煙となって
  大気の中を昇っていった
  火葬場には夏の気配を秘めた光がうつくしく踊り
  不思議と人の死の匂いはしなかった  
  ただ焼香する人々の喪服の裾から
  かすかにしうしうと
  砂のこぼれる音が聞こえた
  わたしの小さな
  砂の耳に
  

  

 

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