雑感◆西部邁さんの死

先日、ここ何年も書くという習慣から離れていたのはさすがにまずいなと思い始め、とりあえず思いついたことを不定期に綴っていこうと思う。ほかに適当な場所もなく、しばらく放り出していたnoteがあったので、内容的にはお粗末きわまりなく、ただ羞恥心のみ晒す結果になるのは分かっているけれども、できるだけ衒いなく構えることなく綴っていけたらと思う。

先月だったか、西部邁さんが多摩川で自死を遂げたらしい。「朝生」などでご尊顔を拝見し、発言される内容はともかく、やや面倒な物言いをされる割には嫌悪感を抱かせることのない人物だなという印象を持っていたので、正直おどろいた。いや、人から好感を持たれるような人間が自殺するということに驚く理由は何もないのだが、個人的に好ましく思っていた名の知れた思想家が、わざわざ多摩川などという水量も少ない冬場の河川で入水自殺するということに奇異の念を抱いたのだ。噂によれば、前日娘さんと文壇バーで酒を飲み、ほどよい時間になって娘さんを先に帰された後、明け方近くまで通常以上に飲酒したらしい。翌日、ご家族の通報によって多摩川でご遺体が発見されたそうだから、西部さんは従前から自殺について何らかの信号を身内に発信していたにちがいない。

それにしても、なぜそんな場所でと思ったのは、多摩地方出身の私にとって多摩川はあくまでも日常の一部であり、明晰な思考でならした論壇の重鎮が覚悟の自殺を遂げるにふさわしい場所とはとうてい思えなかったからだ。案の定、後日週刊誌で報じられたところによると、西部さんは知人から拳銃を入手しようと画策していたらしいが、それがかなわず、結果的に飲酒→入水という方法に出たようだ(私の乏しい知識からすると、拳銃自殺で思い起こされるのは、右翼の論客だった野村秋介の死だ)。ともかく手段はどうあれ、西部さんはおそらく明瞭な精神状態にあった過去の一時期に自死を決意し、その決意を抱えながら数年を生き、(残念ながら酩酊状態にありながらではあったが)みごとに実行したのだ。


そこに幾ばくかの感慨をおぼえてしまうのは、自分が死にゆくことを自覚している人のみだろうか。

(続く、かも)

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