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百万馬力の現場監督 クレーン鷹井

■プロフィール

リングネーム クレーン鷹井(Crane Takai)
ニックネーム『100万馬力の現場監督』
出身 日本
生年月日 1987/9/1
身長/体重 189cm/108kg
必殺技 高層クレーンスラム
得意技 ツームストーンパイルドライバー クレーンラリアット クレーンチョップ 他

■ファイトスタイル

・高身長レスラーらしくシンプルだがダイナミックなプロレスを得意とする。
・クレーンのように太く長い腕で殴り倒し、掴みあげ、叩きつける。

■プロレスラーとしての実績

・プロレス好きな得意先の社長に騙されて社会人プロレスを始め、祭りの余興などで試合をしていた。
・プロのアドバイスは必ず参考になるからというトレーナーの勧めで『Mr.しも杯』に参加。自身の資質を意識した動きを考えるようになる。
・『Mr.しも杯』をきっかけに超党プロレス軍団『桃炎隊』に加入。いよいよプロレスラーとしての活動が始まる。
・ジャッカル浅沼選手との重機タッグを組むなど充実したプロレス活動を経験し、プロレスを自分なりに楽しむ気持ちが強まる。
・『桃炎隊』の宿敵『コーザ・ノストラ』のボスであるダニエル・コステロとのデスマッチに敗れて、コーザ・ノストラへ移籍。ボスからリングの中だけではない『プロレスラーの魅せ方』を勉強中。

■騙されてプロレスラーに?

・本業は建築用クレーンのオペレーター。
・鷹井自身はプロレスを殆ど知らずに生きてきた。プロレスといえば知っているのは猪木、馬場、ブッチャーの名前と顔程度だった。
・恵まれた体格に目をつけた得意先の社長が『祭りの余興だから』と嘘をついて、社会人プロレス『トンパチNIPPON』に参加させた。

■トンパチNIPPON、そしてクレーン

・プロレスブーム時にプロレス団体『トンパチNIPPON』として旗揚げ。インディながらアメリカの団体『MunchkinUSA』(現在RealManUSA)とも提携して選手交換も行っていた。
・中心選手であるクレーン若松(初代クレーン)と数名、その他コミカルなプロレスを得意とするレスラーたちで構成されていた。
・クレーン若松は恵まれた体格を活かし、シビアな試合だけでなくコミカルな試合でもツッコミ役をこなす団体の現場監督であった。
・残念ながらプロレス人気の低迷と選手の引退に伴い団体は解散。しかし、熱烈なファンでありスポンサーでもあった『ある建築会社の社長』から請われて社会人プロレスとして存続することになる。

■作者とクレーン鷹井

・私のファイプロデビュー作だったファイプロG時代に作ったのが長い腕を武器にするレスラー『クレーン若松』でした。
・ファイプロワールドで再現するにあたり時代の経過を踏まえて代替わりをしました。
・『Mr.しも杯』の企画発表を聞きつけた時に「これはファイプロを盛り上げるチャンス」だと思ったと同時に「イマイチ表現しきれないレスラーについて意見を訊くチャンス」だと考えました。その為エル・カラベラは選ばず、形だけは出来ていたクレーン鷹井を送り出しました。
・ワールドに至るまで度重なるメモリー紛失により当時のレスラーは大幅に離脱していきましたが、その中でもクレーンは地味なのになぜか忘れることのないレスラーです。

■おまけ


・『ターミネーター3』のワンシーンです。このクレーン車がクレーンを突き出して車も建物もぶっ壊しながら追ってくるシーンを観て「これだっ!クレーンラリアットォ!」と思った瞬間に初代クレーンが生まれました。

・若松はゴロが良かったから、鷹井はクレーンだから「高い」なら覚えやすいかなと。覚えてもらってナンボ…というのがうちの方針ですね。

・鷹井の出身地はしも杯の時点ではぼんやり関東か首都圏かなぁとしか思ってませんでした。しかし、しも杯で地方団体の多さや地元愛の強さに触れてちょっと真面目に考えてみました。鷹井は私のイメージでは道産子ではないのですが、よそを地元にしようにも私自身が道外のことがわかりません。なので鷹井は苫小牧にある祖父母宅でトラックドライバーの父に育てられたことになりました。早く父のように働きたかった鷹井少年は『働く車』に憧れ、そのまま真っ直ぐにオペレーターの道に進んだ…ことになりました。

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