父の面影
今日は昨日のお通夜に引き続き、叔母の葬儀で川越に行ってきました。
父の双子のお兄さんに会う度に父が生き返ったみたいで
びっくりするのだけど、今日ほどそれを感じた日はなかった。
父が死んでから5年。5年ぶりにあった叔父さん、
若々しかった父の双子のお兄さんが、
少し歳をとっていて、むしろ父にすごく似てきたというか
声も声の大きさも笑顔もそっくりだった。
それに前からマイペースなところが父に似ていると思っていたけれど
性格もさらに似てきたなあと思った。
通夜では、開式からお坊さんがお経を読んでる間も
ずっと1眼レフのカメラで写真を撮っていて、
故人をみんなで偲ぶ瞬間はずなのに
場の空気なんてお構いなしに写真を撮りまくる
それは誰のための何の目的の写真なのかよくわからない。
葬儀中は動画を撮影して、火葬場に行ってもカメラを回していて
式場の人に止められていた。
そういえば父の葬式の時も式場の人に止められていたのを
思い出したし、自分でも話していた。
でも懲りない。
そして頑固で周りの人も言っても聞かないのがわかっているので
誰も止めない。
父は動画撮影はしなかったが、場の空気を読まず、場違いな発言で
周りを凍り付かせていたのを思い出して、
父がそばにいるような気持ちになった。
双子のお兄さんは、酔っ払って、休憩が終わって閉会の喪主挨拶の際に
待合室で広げたカメラを片付け、トイレに行って、炎天下の中、
みんなを待たせたままなかなか帰ってこない。
私は、横で怒っているお兄さんの奥さんがまるで父と離婚する前の
母のように見えて、
心臓がキューとなって、他人事とは思えず、一緒に叔父さんを
探しに行った。
ああ、こんな感じで父のそばにいて、イライラ、ドキドキ、ハラハラする
感じ。心臓がキューとなってお腹が痛くなる感じ。
久しぶりに思い出した。
意識や心の勉強をして、客観的な視座でみると
ある意味、この双子の兄弟は、他人の目を全く気にしない。
場違いな発言、場違いな行動をして周りをハラハラさせる。
自分勝手というかある意味自分が主役。
自分の心がこんなに縛られて影響を受けていることに気が付く、
条件反射的に苦しくなる感覚を思い出して、
ああーこんなに自分は父を気にして父に怯えて生きてきたんだ
と思い出した。
反応しない自分になりたいと思った。
縛られた自分を解放したいと感じた。
この心の中にあるものをもっと深掘りしたいと感じた瞬間だった。
日中暑かったので、帰ってきてぐったり。
明日から週5勤務。ゆっくり休もうと思う。
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