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新旧ノシロ語読み比べ

2023年9月、白水社さんの『ゴート語入門新版』が語学界隈の皆さんの注目を集めている一方で、V2ソリューションという会社から、水田扇太郎著『新ノシロ語 国際普遍言語は可能だ』という本が刊行されました。

V2ソリューションって、セレン・アルバザード著『言語学少女とバベルの塔』を出していた版元ですね。他に、最近では『ロシア語の3人称不完了体сяと副詞助詞接続詞他』っていう謎の本も出ている。謎、というのは誰に向けてどのような方針でまとめているのか不明ということです。資料としては便利なんでしょうが。

さて、まずノシロ語とは何か。
水田氏によって考案された人工言語で、世界中の人々にとって平等で学びやすい言語を目指して開発されました。

↓「タイトル未設定」となってますがノシロのサイトトップに飛びます。

この言語については、かつてあの泰流社から『日本で生まれた共生時代の国際簡易言語ノシロ』という本が出版されていました。版元がなくなり、本の入手は困難になりましたが、水田氏はノシロ語の開発を続け、サイトの更新はこまめに続けられてきました。今回の本が出るまでの間に、月刊「言語」に紹介記事が出た(06年11月号「人工言語の世界」)こともあります。

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ノシロ語ウォッチャーとしては、泰流社の本から26年を経て新刊が出たことに驚きを隠せません。せっかくの機会なので、2冊読み比べて所感をまとめます。

『ノシロ:日本で生まれた共生時代の国際簡易言語』泰流社、1997

この本を一読して感じるのは、ノシロ語は、「人工言語」ではなく、「機械翻訳のためのメタルール集」ではないのか、ということです。すみません、メタルールって言葉が適切かは自身が持てませんが。

まず、「序文」(p3)に次のような説明があります。

単語についてもノシロ単語の使用を成るべく控え日本語と英語を多用しました。これによって見知らぬ言語を学ぶときの関門は殆ど取り除かれていると思います。

この文の意味するところは、ノシロ語の習得を容易にするために、ノシロ語の例文中でもなるべくノシロ語の単語を使わずに日本語と英語を使った、ということです。
p8では、次のように言っています。

2)ノシロの使い方
意思を伝達する方法として、手紙や電子メールのように何度も読み直すことができる手段を用いる場合、手紙の書き手や送信者は「ノシロ単語」か自国語の単語をそのままノシロの文型に機械的に当てはめて送る。送り手が自国語を使っても、受信者は文法の心配を殆どせずに単語を訳すだけで内容を理解出来る。日中間の交信などは共通の漢字を使えば単語を訳すという作業さえ殆ど不要になろう。

第1章ノシロの特徴と使い方

つまり、作者自身が、ノシロ使用者の母語から借用すること推奨しています。
例えば、まだ立ち上げたばかりの人工言語の、語彙が小さいのは仕方ありません。使用者が借用語を利用するのも当然です。しかしノシロ語の場合には、設計者自身が、初めから言語ではなく、翻訳ツールの設計をしていたことになります。

さてこのあと、13ページから文字と発音の解説があります。煩雑なのでいちち引用はしませんが、ここの説明も、やはり著者が言語というものを理解できずにいることが伺えます。
それは例えば、随所に現れる、

「これこれはほにゃららと読む」
「◯◯とは読まない」
「この文字は省略してもいい」

のような表現であったり、あるいは

「閉鎖音の子音字には書かれていなくとも母音Uを付加する」
「Hの文字には [h][ç][ɸ]の3つの子音を許容する」

などの日本語話者の感覚をそのまま持ち込んでいる感じや、新出語を含む例文の説明に頻繁に現れる、

「……○○と読み、これは中国語から。」
「TAIMタイム(英語から)を使って……」

のような新出語の借用元の明記に、それを感じます。つまり借用した以上はノシロ語なので、いちいち出自を示すのは違うだろうということです(「ハンバーガー」はhamburgerを借用した日本語の語であって、「ハンバーガー、テイクアウト」と言ってもそれは英語を話したことにはなりませんよね)。借用元が何語であろうとも関係ありません。

おそらく水田氏は、先に音韻体系の設定を済ませてから文字を割り振るということをせずに、文字ありきでものを考えているようなのです。おそらく、世界中の人にとっての発音のしやすさを目指したことと表裏の関係にありそうです。これが、言語を作ったのではなく翻訳ツールの設計だと書いた理由です。

(私見を挟みますと、著者の言うように世界中の人々になるべく発音しやすい体系を志すのであれば、アイヌ語やハワイ語のような、同じ調音部位に複数の子音が現れないような構成になるかと思います)

この後、人称代名詞や動詞の時制とか説明が入るのですが、これ以上は割愛します。本文が大変読みにくくわかりづらいためです。というのは、本書は泰流社の本ですから、編集者の手が入らない、自費出版かそれに近い形での刊行と推察します(協力出版とか、呼び方はいろいろあります)。本来であれば、編集と体系は別々に批判しなければなりませんが、著者の意図した体系をこの本から読み取るのが非常にしんどいので、ここで終わりにします。

『新ノシロ語 国際普遍言語は可能だ』V2ソリューション、2023

四半世紀を経て刊行されたこの本に私が期待していたことは、ノシロ語3類の解説でした。ノシロ語は従前から、SOV語順、SVO語順の両方がサポートされていますが、VSO語順にも対応する予定だとサイトに書いてありましたので、今回はそれを楽しみにしていたのです。……が、紙幅の関係で見送った、ということでした。残念。

さて、本書を開くと、「宇宙の開始」だとか「時とは何か」のようなトンチンカンな宇宙論から話が始まり読む気が失せます。このような持論は前著にも少しだけありましたが、今回は全開という感じなのです。こういうエッセイは、できれば巻末でやっていただきたい。

そして、相変わらず実在する自然言語の姿を「不条理な例外や無駄が多い」と捉えているところも変わっていません。水田氏は工学が専攻だったようですが、「自然言語」は構想や計画を持って意識的に構成されたものではない、つまり工学で扱うようなものとは根本的に異なるのだということが理解できていないのではと感じます。

ひとつだけ。
ノシロ語には、後置詞の助詞があります。主語を示す-W(わ)と目的語を示す-O(お)です。ニュートラルに考えたとき、SVO語順で後置詞を使う言語はどれくらい実在するんでしょうか。そしてこの-Wは、「主語」と簡単に紹介されていますが、行為者なのか主題なのか不明で、こういうところ、詰めが甘い感じがします。


終わりに

詳細に論じることはしませんでしたが、2冊を通じて読み取れることがひとつありまして、それは作者が、「英語に堪能な日本語話者」でしかない、ということです。そしておそらく言語というものを「語の集まり」のように考えていて、文法が体系である点をとらえきれていない。これは、「義務教育で英語を教わる日本語話者」の最大公約数的な理解のように思えます。

結局、ノシロ語は、試みとしてはおもしろいけどねぇ、というのが所感です。終わり。

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