外部セミナー・カンファレンスに参加してから1年経ってLT登壇までした知見と持説

はじめまして。柚口ましろう(ゆぐちましろう)と申します。

初めてのnoteで意識高いことでも書こうかなとか思っていたのですが、それっぽいことを書こうとして思い浮かばなかったので普通に書こうと思います。

今回タイトル通り、外部のセミナーやカンファレンスに聴講しに赴いて1年が経とうとしております。1年って短くないですか??

ともあれ、多くのセミナー・カンファレンスに参加して、かなり自分の周りの環境が大きく変わったような気がします。その辺りをざっと程度にお話しようかなと。

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こちらは今年参加したセミナー・カンファレンス(もくもく会)の一部です。行き始めてから17のイベントに参加したみたいですね。周りの人だとこの時点で40以上のイベントに参加する猛者がいらっしゃったので、アレは間違いなく中毒患者だと確信しました。(褒め言葉)

さて、本題。

今回初noteでお届けしたい内容は、

なぜ外部イベントに知識を求めたのか

登壇まで至った経緯と登壇して考えたこと

セミナー・カンファレンスから学び、活かせるもの

の3つとなります。

なぜ外部イベントに知識を求めたのか

まず、みなさんはどうやってプログラミングを学びましたか?

よくあるケースとしては、専門学校・大学のゼミやサークルだったり、インターンで実施で学んだり、最近ではプログラミングスクールなどでしょうか?

私は財力もなく浅学の身だったゆえ、いわゆる未経験OKなSES会社に入社したのがスタートでした。
実際には、ほぼ自力で学習して頑張ってな! みたいな環境でした。独学です。

そのレベルの人間がよくある駄目なパターンを駆使してなんとか潜り込んだ会社などで拙い技術ながらになんとか生きてきたような感じです。

この時点で現在の私の技術レベルを100点満点とすれば、当時は5点くらいです。まずPOSTとGETの違いを理解できてなかった時点でやべーって君。(特大ブーメラン)

そんなレベル低いまま低空飛行をしながら少しずつ慣らしていき、外部セミナーへ参加するに至るまで、なんとか30点くらいのレベルに達したのが1年前ほどです。
1年前、一人で調べたり頭を抱えたりするのに限界がくる時期に差し掛かりました。
要するに一人で開発するのに飽きていました
当時(今は違う)はサーバサイドエンジニアとしてアサインしたのが私一人だったということもあり、どうしても技術の知識レベルが私の知っているレベルがイコール最大知見ということになってしまい、その時点で30点な私のスペックではどうあがいても失敗という恐ろしい状態に。(他の人?みんなアプリエンジニアだよ!)

技術的にもモチベーション的にも限界が続いてしまっていたこと、そして案件先の方針でセミナーとかで知見をガンガン集めるとよろし、ということもあり見事セミナーへの参加へ踏み切りました。

これがセミナー・カンファレンスへ参加してドハマリする手前の話です。

登壇まで至った経緯と登壇して考えたこと

さて、前段では聴講するに至るまでの経緯でしたが、今回は登壇になった理由です。

単純に誘われた、というよりどこかに発散したいが多方面ではなく同じような視野を持っている(持ちたい)人に向けて話したいという感じのことをTwitterでぼやいたところ、登壇しませんかというお誘いを頂いたのが登壇した経緯です。

登壇し終えてイベントが終わってから考える時間があったので色々と考えました。

情報を - why
誰に対して - who
共感性を持って - how
持論を提唱する - what

これは持説なんですが、結局自分の言葉を載せて話すものはだいたい主観で語るものになってしまうので、それなら思い切って「自分ならこう考えますよ~」っていうほうが思い切りがいいなと。
だけどそれを自分の腹の底で落とし続けると、それが風化するたびに正しくなってしまうのでは? とも考えられます。
違う考えや提唱がない限り、その考えは自分の中では正しいものになっていき、最終的に主観で持論でしかないのにデファクトスタンダードだと言わんばかりの言葉になってしまうのでは、と考えました。(持論)

とある国の宰相、オットー・フォン・ビスマルクは言いました。

Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。

by Wikipedia - オットー・フォン・ビスマルクより

たぶん本当なら「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」のほうが耳に残っているとは思うのですが、実際はWikipedia引用の言い回しであるようです。
(ただしレファレンス協同データベースではそんな言い回し文献にはないとのこと)

私が登壇をすることの意義を一言で集約するのであれば

「失敗したわガハハ! お前ら真似すんなよ!」

ということを伝え広め、失敗の中で発見した解決の手法を持論として提唱するのが良いのでは、と。

「これじゃダメだったのでこの方法を採用しました」

これでは何がダメだったのか伝わりません。

「このやり方だと貧血モデルに酷似している! 全部モデルに集約してて改修するにも色々と問題が生じてしまう! だからモデルの中身を分割して貧血モデルから脱却したんだ!」

と、これくらいのレベルで伝えるのがベターなのではないかと感じます。
(正解ではない)

某書籍のタイトルが「失敗から学ぶXXX」というように、最近では失敗から学ぼうぜ! という機運が高まってきております。
きっとそれは間違ってなく、本来あるべき形へと戻りつつあるのでは? とも推察しています。

これは持説ですが、多くの数式を説いていった著名な数学者の方々は、難問に対して真っ先に到達できなかった途中式を参考にして誤った式を作らずに正しい答案に導き出したのでは……と。
(本当にそうかはわかりませんが、どんな天才でも数式だけみて答えが分かるなんてことは不可能だと思います)

セミナー・カンファレンスから学び、活かせるもの

セミナー・カンファレンスは自らが提示し実行してきた結果の公開の場であると考えています。
それが失敗であろうが新しい発見であろうが、それらは自らが発信したいから発信したというだけであり、その他にあるのはチヤホヤされたいとかすごいなぁ! と言われたいとかだったり、自尊心を育てることくらいだと思います。
(別にそれが悪いわけではありません。むしろそういう方がいるおかげでイベントが成立しているのも事実です。ありがとうございます。)

そこから何を学び、それからどうしたいのかという次への一手を得るために何をしようと考えているのか、構想を練っているのか。
一歩先の未来を見据えた何か、それが活かすために自身の一手を発表し、吸収し、自身の持つプロダクトが持つ課題を解決するための事例として提唱するのが、何かなのではないでしょうか


なんか結びの句で良い文句が見つからなかったので「失敗から学ぶ起承転結」でも誰か作ってください(他力本願)

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