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「WIND PARADE '22」フィッシュマンズとくるり・岸田くん(前編)

WIND PARADE '22」というフェスに行ってきました。

野外のフィッシュマンズ…。しかもロングセット…。そしてヘッドライナーという部分に惹かれて、フィッシュマンズ自体はひさしぶりのライブ。秩父の山の中にあった埼玉・秩父ミューズパークは、野音をさらに倍広くしたような大きくて見やすい会場でした。

フィッシュマンズ、リハーサル中の様子です


共演は、くるり、カネコアヤノ、折坂悠太(重奏)という豪華メンツでしたが、期待度は、①フィッシュマンズ、②折坂悠太、③くるり、④カネコアヤノといったところ(カネコさんファンの方すみません)

…だったんですが、結果的に一番グッと来たのは、意外にも③くるりでした。(フィッシュマンズも良かったですが)

フェスでのくるり、といえば、自分の知る限りの印象は、あえて一見さんにわかりづらいサービス薄めな方向性というか。幾多の有名曲はあんまりやらないスタンスな記憶があって(実際、フジロックとか福岡の野外フェスで「最近の曲ばかりっぽいな…」と思ったことが数回ある)

ここ数年は変化した?のか、この日は代表曲をガンガンに演奏するスタンスで場内を沸かせまくり。とくに終盤に演奏した圧巻の「東京」⇒渾身の「ロックンロール」の流れには、涙が出ました。

で、気になったのはこの「東京」の前のMC。
岸田君が「フィッシュマンズについて話さないとな…」って感じで突然に話し始めましたが、(以下うろおぼえ)「俺と佐藤(佐藤伸治ではなく、相棒の佐藤征史さん。呼び捨てだから一瞬ドッキリした・笑)が京都から上京した頃、延々とフィッシュマンズの『宇宙・日本・世田谷』ばかり聴いていた。朝起きて聴いて、夜寝るまで聴いて。数カ月くらい毎日聴いて、ある日、ぱったり聴かなくなった。今回、聴かなきゃなと思って、ひさしぶりに聴いてみました…」(記憶曖昧)みたいなエピソードを話し始めました。

これは少し意外でした。だから、最初はサービストーク的なヤツかとも思ったんですが、この日、これが岸田君の唯一のMCで、この話題のみだったので、意味があるんだろうなと。少し不思議な気分になりました。

というのは、自分が記憶する限り、佐藤くん時代のフィッシュマンズとくるり(岸田くん)には距離があって。ジャンル的には近くても、世代的に少しズレていたからか、対バンした経験はないし、フィッシュマンズのトリビュート作品や、2005年以降の再結成へのゲスト参加もなし。

岸田くんのインタビューをこまめにチェックしてるわけではないけど、コアなフィッシュマンズファンとして、「岸田君がフィッシュマンズにコメントした」という記憶がほとんどなかったからです。

これは、くるりより少し先輩バンドのサニーデイサービス、曽我部恵一さんがトリビュートや、ある時期のソロでフィッシュマンズの「BABY BLUE」を積極的にカバーしたりしたのに比べてとても対照的で、自分の知る限りはほぼ言及されていない気がします…(ご存知の方いたらすみません)。(じつは、twitterではちょっと見かけたんですが、そのくだりは後編で書きますね)



ただ、フェス前日に読んだ、茂木欣一さんのインタビューで少し気になる発言があって、「あれ?」と思ったのも事実。


茂木欣一「くるりはデビューのときから曲を知っていたし、岸田(繁)くんとは「RISING SUN ROCK FESTIVAL」の会場を夜中一緒に歩いたこともあるような仲ですね(笑)。フェスの会場で会うと、お酒を飲みながらしゃべったりしますよ」

そんな仲なんだ!

このくだり続きます。







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