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会えるときに会っておく大切さ(23.7.13)

※今日の内容、悲しい内容ではありません!※

今朝、父親から訃報の連絡が家族LINEグループに入りました。
祖父が今朝亡くなったと。

色々心がざわつく?思う?1日だったんですが、何となく分かっていたことというか「まあそうだよな」と受け入れられている自分がいました。

受け入れられた理由って何だろうか?
と考えた時、勿論寿命の死であることが1番ですが、最近頻繁に祖父に会っていたことも要因として結構大きいと思いました。
#6月にも会っていた

6月に会った時、久々に見た祖父の笑顔。
突っ込みポイントは、令和の写真なのに甥っ子の格好により昭和感が漂っていること。笑

転職してから帰省する回数が圧倒的に増え、帰省するたびに基本的に両家の祖父母の家に顔を出しに行っていました。

顔を出すと言っても、長居するわけではなく、本当に少し顔を見せるだけ。
幸い両家ともランニング圏内にあるので走るついでに顔だけ見せに行って、一緒にテレビ見ながら喋ってお茶を飲んで「じゃ、行くわ」と言って走りに行く。
ということをしていました。笑
#なんか笑える

特別なことをしなくても元気な姿を見せるだけで、喋りに行くだけで最高に喜んでくれるんです。

帰省をしたら顔を出す。会えるときに会っておく。
その思考を作ってくれたのは、小さい頃からずっと(今でも)祖父母を大切にすることを口酸っぱく言ってくれていた母親のお陰です。

そして何より、母親の言葉をしっかり腑に落として理解できたのは、3年前の甥っ子の死でした。

当時はコロナ禍で県を跨ぐ移動は控えましょう。
という空気になっていて、中々簡単に会える時期ではありませんでした。
でも、色々なことを天秤にかけて「会えるときに会っておきたい」そんな感情を最優先して、毎週のように帰省していました。

その決断をし、連続帰省をしている最中に死を迎えた甥っ子。
「会えるときに会う」という、母親の言葉をしっかり腑に落として理解した出来事でした。

いつどのタイミングで死を迎えるか分かりません。
昨日元気だった人が突如いなくなってしまうこともある。
生きていくには自分以外の周りの目が沢山あるけど、周りの人が自分を幸せにしてくれるわけではありません。
だったら、自分が幸せになるために、我儘に生きて自分が幸せでありご機嫌である人生を歩んでいきたい。
そんなことを改めて思う本日でした。
#自分が幸せでありご機嫌であることが結果周りを幸せにできると思っている

3年ぶりの葬式。
3年前の感情が出てきそうで怖さというか、心のザワザワがありますが、怖さを感じている自分も受け入れて祖父を見送っていきたいと思います。

そして、葬式を機に、親戚一同とも顔を会わせられる機会が多くなると思います。
そんな機会を与えてくれた祖父に感謝して、みんなと一緒に過ごす時間を大切にしていきたいと思います。
#今週末が三連休でよかった

最後に、、、
定期的に読み返している3年前の文章。
今日も読み返しました。
#3年間ずっと表に出してなかったけどタイミングかなぁと思いエイッと投下
#許可は得ていない

そして、姉の投稿でも何だか考えさせられた。
その場からいなくなるけど、心からは一生消えない。
死って奥が深いな〜

それでは、また!!

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