高校時代。ベンチに入れない僕が学んだ"自分のポジションを見つけること"
「ハンカチ王子」こと、斎藤佑樹投手がいなかったら、僕の今はなかったと思う。
中学時代は、「お前に早実に行けるの?」と戦った。そして、早実では、全国トップクラスの選手が集まる野球部で、「お前は早実野球部で何ができるの?」と戦った。
今自分が置かれた状況を見て、今の自分にできることは何かを考えるクセは、高校時代に染み付いたものだ。
何度か早実については書いているので、詳しくはこちらのnoteを見て欲しい。
レギュラーになれず、ベンチ入りメンバーになれず、でも甲子園には行きたい。そして、僕が早実野球部にいたという爪痕を残したい。自分にできることは何か。自分にしかないことは何か。
自分たちの代になると、2人、マネージャーになり、サポート役に回る。マネージャーにならないか、と監督さんから打診を受けていた。
マネージャーがしっかりしているチームは強い
1個上の代で甲子園に行った。1番から3番と、2番手ピッチャーは同級生だ。
マネージャーという立ち位置を活かし、チームが強くなるためにできること全てやる。遠征の準備もするし、ノックも打つし、チャーハンも作るし、ミーティングでも意見を言う。スタメン、監督さん、メンバー外を繋ぐ架け橋にもなる。
試合中は、ベンチでスコアを書きながら、声で、情報でチームを勝利に導こうとできる限りのことをした。
ユニークなマネージャーになるために、練習もできるだけ同じように行う。野球が下手だから、マネージャーになった。のではなく、マネージャーを"自分の意志で選んだ" 熱闘甲子園に出て、新しいマネージャー像を発信したい。
嘘偽りなく、当時も全く同じように思っていた。(ブログでも書けばよかったな・・)
何をやれば、マネージャーというポジションから、チームを強くし、また、"面白い"マネージャーになれるか、真剣に考え実行し続けた1年弱だった。
僕は誇れる高校野球生活を送った。そして、今に生きている。
自分のポジションを見つけ、最大限そこに力を注ぐことを学んだ。
まさか、署名活動したり抗議文書いたり、高野連に直談判する、なんて経験できるとは思わなかった・・・その話はまた今度。
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芝中・早実時代の話は、こちらでも👇
〈お知らせ〉
株式会社unnameさんにインタビューしていただきました!
ひたすら、スポーツをしてる人。たくさんスポーツを知ってる人。
そのポジションでSNS上、コミュニティ上で認知をもらったおかげで、いろんなスポーツのお仕事をもらえるようになりました。
早実時代の同期から、「スポーツで困ったら、まさきだと思った」という紹介の縁で、女子野球YouTuberごっちんのGTちゃんねるの企画・編集のお仕事をもらえるようになりました。もっとこれから進化していくので、ぜひご注目ください!
ありがとうございます!大切に使わせていただきます!