はくちょう座61番星
天動説と地動説。
理科の授業で教わりましたよね。覚えていますか?
天動説は宇宙の中で地球が中心。地球は動かずに周りの星々が回っている。
地動説は太陽を中心に地球が回っている、というやつです。
地動説を唱えた人は有名ですよね。ガリレオ・ガリレイ。
天動説が信じられていた世で地球が回っているというとんでも理論を発表したために裁判にかけられ、処刑される直前まで「それでも地球は回っている」と語っていたという逸話はあまりにも有名ですね。
では、天動説を唱えた人の名前、ご存知ですか?
僕は今ブラックホールに興味がありすぎて、宇宙の成り立ちやら宇宙科学の本をたくさん読んでいるのですが、
全然フューチャーされない天動説の話が自分的に刺さりましたので、だらだらと書いています。
天動説の急先鋒だった人物、名をティコ・ブラーエ(1546-1601年)と言います。
パスタのメーカーみたいな名前ですね。あれディチェコか。
彼はこう考えました。
仮に地球が動いているとしたら
6月と12月のように正反対の位置にいるとき、星の見える角度が違うはずだ、と。
これは「視差」というもので、
例えば、自分のどちらかの人差し指を目の前に出してみて下さい。
その後、空いてる手で右目を隠してみて下さい。次に左目を隠してみて下さい。
ずれて見えますよね。これが視差です。
つまり、地球の位置を両目として、正反対の位置から同じ星を見たら、
先ほどの指を見たときに起こったズレ、「視差」が起こるはずじゃないか。
それを観測できたら「地球が回っている」ことになるね。と考えたのです。
超天才。
ちなみにこの考え方は今でも天体の距離を測るのに使われています。
で、実際に視差はあるんですよ。地球は回っているから。
考え方は合っているんです。でも彼は「やっぱ地球回ってねーわ」となりました。
なぜか?
それは、観測する道具がしょぼすぎたから。
実はこの時代、まだ望遠鏡がなく、なんとこの視差を肉眼と分度器で測っていたのです。
実際観測する星って何十万光年彼方にあって、要はむっちゃくちゃ遠い。
だから底辺がめっちゃ短い爪楊枝みたいな二等辺三角形になる。
そこで生まれる視差なんて、0.01度とかそんなものです。
それを肉眼と分度器で測れるわけがない、、、
というわけで、「視差が観測できなかった」というきちんとしたエビデンスがあって、彼は「天動説」を唱えたわけです。
のちにこれは覆りますが、考え方は正しかった。
ただ、彼の脳にテクノロジーが追いついていなかっただけだったのです。
ちなみに、彼が考えた視差(年周視差という)を発見したのはおよそ200年以上先の話。
1838年にフリードリヒ・ベッセルがはくちょう座61番星に0.314秒角の視差を発見。
この話は自分的にすごく面白くて、
今の時代からすれば天動説とかマジで愚かなこと言ってたんだなと思いますが、、
自分が今仕事でやっていることも、当然数十年後には「間違っていた」となりかねないし、「ダサかったよね」となると思う。
500年前と違って、今は人間が扱いきれないほどのテクノロジーが凄まじい速さで進歩しているから。
それでも僕らは「未来で確認できる間違い」にビビっていても仕方ないし、今できる自分の全てで物事に向かうというのは今も昔も変わらないはず。
今日は残りの人生の最初のページなのだから。
ティコ・ブラーエが生きた時代は1500年代。(日本でいうと室町〜安土桃山時代)
実際に見たもの、聞いたもの、あとは想像力でしか手の届かないものに対して知見を持つことさえできない時代、
それは好奇心という決して満たされず、今の時代の誰よりもはるかに素朴で純真な心の動きが作動していたのだな、と感じたり。
最近「クラハで誰々(有名な人)と話した」と言ってきてしきりに誘ってくる人がやたらといるのだが、
インスタント的に好奇心を満たしたところで、スキルも上がらないし、預金も増えないし、本当の繋がりはできないし、人間の心の奥底にある真の好奇心は満たせない。
未だ見ぬものに対して想いを馳せる。
自分の内面の暗がりの中でまどろんでいた領域に突如として光が当たり、
洗い立ての青空のように広がる瞬間。
そのような美しい好奇心を持ち続けたいし、美しい写真が撮れたとき、少しそれが満たされる。
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