今を生きる

狭い世界の中で生きてきた。


サッカーをはじめた小さい頃から思考の軸は常に”サッカー”だった。


関わる人もほとんど同じ業界の人たちだった。



サッカーが全てだと思ってたし、極端に言えば「サッカー以外クソだ!」だって思っていた。
恥ずかしいことに20半ばくらいまで。


他人を評価する時の軸はサッカー。行動は全てサッカーのため。


思考に偏りが生まれ、いつしかそれが「執着」になっていた。
その執着が自分自身の首を絞め、いつしかサッカーに対して義務感のようなものを感じ純粋に人生そのものを楽しめなくなっていたことも事実である。


自分は非常にありがたいことに、サッカーを通して様々な国の文化や人々の思考に触れる機会もあった。
サッカーをやっている時はバチバチだがそれ以外の時間はよくも悪くも何も考えず瞬間瞬間を脳天気に楽しむ彼らにとってあくまでサッカーは生活の一部なんだなと気付かされた。
そこには人生そのものを楽しんでいる姿があった。

国内でもたくさんの方と出会いがあり今まで知り得なかった価値観を知ることでで多種多様な生き方があることを知った。
そして自分がなにものでもない普通の人だということも自覚した。

今までどれだけ自分が偏見に溢れていた人間だったかを思い知らされた。

まだまだ世間知らずなのは百も承知だが
世の中サッカーだけじゃないな。
徐々に自分の偏った価値観が変化していった。

今までは
″なんとしてでもサッカーで上に行かないといけない”というある意味呪縛されたかのような生き方をしてきた。日常生活は常にモヤモヤ。
プレーがうまくいかないたびに「こんなんじゃ到底だめだ」と絶望し、うまく行った日は天国にいったかのような感覚。

しかし、執着がなくなってからはいちいち一喜一憂することはあまりなくなった。
心に隙間ができたことでやるべきことがクリアになりプレーに100%集中することができ、以前よりサッカーを楽しめるようになっていた。
なにより今を生きているという感覚を持つことができた。
当たり前のことだが、目の前のことを全力でやる。散々遠回りをしたが結果的に今が一番成長できるフェーズに入ってるんじゃないか?と思う。


執着がなくなったからといって上手くなりたい。上に行きたい。というのを諦めたわけではない。
そこは大前提として持っている。
むしろ向上したいからこそあえて今のやり方にして徹している。
押してもダメなら引いてみろ的な感覚。
目標は大事。しかしそこに固執しすぎない。焦燥感はエネルギーにもなるが度が行きすぎると悪い方向にいってしまう。
要はバランスの問題で自分がサッカーを続けている限り向上心や野心が消えることはない。
だからこそ、「たかがサッカー。ゲームでありエンタメの1つにしか過ぎない。」といった一歩引いた思考の比率を上げて調整することで今この一瞬を生きることができる。
以前は気持ちだけが先行して余計な感情に囚われていたが最近の現場ではうまく自分でバランスをとれるようになってきた。
それを続けて行くことが大事なんじゃないかと今は感じている。


現在自分が住んでいるタイでは「サバイサバイ」という言葉がある。
リラックスしよう。のんびり気にせず落ち着いていこう。といったニュアンスが含まれている。
複雑に考える癖がある自分にとってはぴったりの言葉で、いい意味で適当なタイの気質は自分にとって見習うべき点が非常に多い。


上手くいかなくて焦りの感情が出てきた時に、最近私は心の中で唱えている。
「サバイサバイ。」


今、この刹那を全力で生きるために。















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