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「歌人枡野浩一氏との邂逅」枡野浩一20周年『あのころの日々、あのころの日々だった君』にて

枡野浩一20周年『あのころの日々、あのころの日々だった君』@渋谷ロフト9に呼んで頂いた。

歌人枡野浩一氏とは三年前に新高円寺の「四文屋」で本田まさゆきから引き合わせてもらう。以来ご縁あって二冊の絵本を共著、現在新作執筆中だ。日大芸術学部で知り合い共に安西水丸門下で学び21年の付き合いになる本田は「すっきりソング」として漫才を披露した。

ゲストには芥川賞作家の長嶋有さん、歌人加藤千恵さんをはじめ漫画家、芸人、作家、歌人、編集者、デザイナーらバラエティに富んだ錚々たる顔ぶれ。二十歳そこそこで共に自営デザイン事務所とは名ばかりのデタラメな綱渡りで生きていた学生当時の本田とぼくからしたら、何と夢のある舞台だろう。

本田は本田の形で、ぼくは信じて来たイラストレーションで同じステージに座る。歌人枡野浩一さんのおかげである。ぼくは第3部、「芸人 枡野浩一」に登壇させて頂くことになった。枡野さんの依頼で少々刺激的で笑えるであろうエピソードを二、三用意していたが、ネタのみの予定であった「すっきりソング」が急遽登壇することになりぼくは側からやりとりを眺めるに留めることにした。

本田まさゆきというのは芸名である。名前を平仮名にしただけだがこれは20年前に日大芸術学部の一室で安西水丸師と三人で考えた名前だ。この時からすでに詩人、芸人となるための準備は出来ていたのかもしれない。師は2014年に惜しまれつつ他界されたが、この前後一年間の間に二人の環境は目まぐるしく変わった。ある日本田は全てを(それまでに培って来た仕事を打ち切り、プライベートでの行動もほとんど共にすることはなくなるという意味で)かなぐり捨てて枡野浩一氏との芸人活動を開始することを打ち明け、程なくして枡野さん、その後植田マコトさんも加わり舞台に立つ姿を見た。

その時からぼくにとって本田は相棒からライバルになった。20年程前に「二人はライバルでなくては」と言っていた安西師の言葉通りになった。枡野浩一さんはぼくたちにとって「天の恵み」そのもののような存在である。枡野さん、20周年おめでとうございます。
(おわり)

昨年10月 高円寺フェスにてしょうちゃんと

昨年末すっきりソングM-1準々決勝応援短歌

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