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これまでの人生のお話

本当にただの自分のお話です、面白くもなんともありません。これはただの「note」です。

昔小学校の頃さぁ、自分のことを心配してくれた先生にキレたことがあったんよ、「どうせ仕事でやってるんだろ!」って ひどいよなぁ
たとえ仕事だったとしても、やってくれてることは事実なんだなぁって。会って謝りたいよ、話したいな。

親が毎日のように喧嘩しててさぁ、車で買い物とか行くと、いつも空気が悪かったんだよね。
20代で子供できて、今の自分と同じような年齢で子供育てて、すごいとは思うけど、やってほしくなかったな。
ねーちゃんは、誰にでもできることじゃないって言ってた、すごいなって言ってたけど、うーん。
そんでさ、毎晩のように喧嘩するし、お母さんは毎日殴ってきたりするし、蹴られたり家から締め出されたりしてさ、メガネスーパーの裏の駐車場でボコボコに殴られた時は本当に怖かった、痛いとかじゃなくて、本当に怖かったんだ。

どっかのアウトレットだか、でっかい商業施設に連れて行ってもらったんだ、お母さんに、ずっとあの人機嫌が悪くて、毎日顔色を伺ってた。
そこから帰って、家に着くと、親父の荷物が全部なくなって、いなくなってた。
なんかあれだね 暗い話だね

10代まではずっとそんな感じだった、中学生ぐらいから、お母さんはきちんと教育はせず、ただの同居人くらいになっていった。
洗濯物をどうすれば洗えるかとか、食器洗い物とか、ほとんど触らせてくれなかった。
あの人は自分のものを触らせたがらなかった
その影響とまではいかないけど、適当に生きてた自分は一般常識が欠如してることが多かった、
親の顔色ばっかり伺って、トイレにこもって泣いて、お母さんの作った味噌汁が不味くてトイレで吐いたら殴られた、本当に不味かった。

10代後半も適当に生きてた、毎日毎日ダラダラしてて、親も適当だから、後先考えずに行動してた。
何かしたい、とか これになりたい、とか明確なビジョンどころか、曖昧なビジョンすらなく、毎日を怠惰に生きてた。

20になって、専門学校を出た僕は晴れて就職、都内に住むことになった。
結果はお察し、適当に生きてきた人間が、社会で通用するはずがない、恐ろしい失敗をし、たくさんの人間に迷惑をかけた。
それでもまだ、僕は甘かった。
大丈夫大丈夫、と悪いのは社会だ、と
まだ、そう思っていた。

22になり、仕事を辞め実家に帰った僕は、ここでも怠惰に生きた、毎日ゲームに明け暮れ、家に金も入れず、バイクで遊び回っていた。
母親が猫を飼い始め、大層可愛がっていた。
去勢手術を終え、猫が帰ったところ、空いていた窓から外に出てしまい、気づかずに僕が締めてしまった。
結果猫は一晩寒空の下、辛い思いをする羽目になったらしい。
当時も母親とはうまく行っておらず、バイト先に行っていた自分は、猫を探す母親に適当に返事をした、あんたのペットでしょう と

バイト先から帰宅すると、猫を撫でながらこちらを睨む母親がいた、「お前にはもう愛想が尽きた、家から出て行け」と
ラスボスかよ
口論になり、お互いヒートアップし言いたいことを言い合う、結果は惨敗。

何度か寝泊まりはしたが、家にいていいものかよく分からなかったので、どこかの駐車場で寝たりしていた
そして後日、頭を冷やし、就職が決まるまでは置いて欲しい、仕事が決まれば出て行く、と土下座するが、断られる。
なので荷物をまとめて、ゲームや漫画、売れそうなものは全て売り、今の家に転がり込む。
当時はカーテンとマットレスくらいしかなかった。
それでも、当時は友人がいたおかげでなんとかなっていた。

そして地元の工場で働き、3年半経ち、なんだかんだあり今に至る、
ここのなんだかんだ は前回の記事を読んで欲しい。
別に読まなくていいよ

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