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05 他人と比べない


2023年7月。妻が亡くなって3ヶ月弱。照りつける日差しの中、先月とは別の遺族会に参加するために、会場となっているお寺まで駅から10分ほどの道のりを汗だくになりながら歩きました。


この遺族会の案内チラシには次のような内容が書かれていました。

・数名の体験者で、死別・喪失体験や想いを語り合います。

・会では、悲嘆に詳しい専門家が入り、みなさんが安心してお話しできる場を提供します。

・体験を話すことがためらわれる方は、参加だけでも結構です。また匿名でもご参加できます。

・お茶やお菓子をいただきながら、穏やかな雰囲気の中で分かち合いをします。

・主催団体は伝統宗派の僧侶が中心ですが、参加いただく際の信仰の有無は関係ありません。また宗教の勧誘は一切しておりません。


冷房の効いた部屋には、私の他に40〜60代くらいの男女6名の当事者の方々とスタッフの50~60代の女性3名。スタッフの一人が進行役となって、「ここで聴いたことは口外しない」といった注意事項を確認した後、順番に自己紹介をしたり、スタッフの質問に答えていき、フリートークのような時間もありました。

先月参加した遺族会ではスタッフとのマンツーマンのやりとりが中心でしたが、ここでは当事者同士が今の状況や気持ちを話したり、聴いたりするのがメインでした。私以外は何度も参加されている方々で、なかには何年も参加されている方もいて、顔見知りになっているようでした。

死別の理由もさまざまでした。妻を亡くしたのか、夫を亡くしたのか、親を亡くしたのか、子を亡くしたのか、急だったのか、長患いだったのか、病気だったのか、アクシデントだったのか、何歳の時だったのか、亡くなってからどのくらいの時間が経っているのか。それぞれが置かれている状況も感情も千差万別だということがわかりました。

他の方々の話を聴いてみて、「自分は、妻が亡くなるまでの間、ある程度心の準備もできていたし、充実した時間を過ごすことができたと思えるので、他の人よりも幸せだったのではないか」と考えたりもしました。でも、哀しみや寂しさ、どちらが幸せとか不幸とかいうことは他人と比較するものではないということも理解できます。


この会に参加されたみなさんは、話しぶりからも亡くされたご家族との関係が強かったことが伺え、哀しみや寂しさはいつまで経っても消えることはないということがわかりました。それでも、このような遺族会に参加して、話を聴いたり話をしたりすることで、少しは癒されるということも口々に話されていて、決して消えることはないけれども、仮に同じところを堂々巡りしている時期があったとしても、時間とともに薄れてはいくものだということも確認できたと思います。

大切な家族を失った経緯や故人との関係は異なっていても、亡くなった人が二度と帰ってこないという現実は共通しています。その現実をどのように受け入れるか、どのように捉えるかで、その先の人生が変わってくるのだと思いました。

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