「ピルグリム2019」2回目、東京千秋楽。【「時代を超えて語られる物語」が、時代によってその意味を変えられるということを】

公演3日目まで間に合わなかった「ごあいさつ」、やっと貰えました(笑)

というわけで、1回目の観劇から2週間が経過。
虚構の劇団第14回公演「ピルグリム2019」、ついに東京の千秋楽。
2回目の観劇をしてまいりました。

劇団史上最多人数の公演。
歌あり踊りあり笑いあり、出演者も2週間十数回の本番を超えて、
見違えるほど演技も物語も深化させておりました。

虚構の劇団が第三舞台時代…いや、「かつて名作」を時代を超えて再演するということは、私が感じるに2つのテーマがでてきます。
一つは、「「かつての名作」を虚構の劇団で演じる意味について」。
そしてもう一つは「「かつての名作」を「今の時代」で再び語ることの意味について」。

まず最初の「虚構の劇団で演じる意味」については、もうなんの文句もありません。
昔のような「必死で追いすがろうとする」ような焦燥感を感じることもなく、
今回の配役はまさに適材適所。どの役もピッタリマッチしていました。
上演する以上避けては通れない「第三舞台の配役をダブらせる」ことも今回は殆どなく、
「自分のもの」にしていたと私は感じました。
(特に小沢道成くんと小野川晶さん、そして森田ひかりさんと梅津瑞樹さんが素晴らしかった!まだ大阪と愛媛が残ってるので、具体的な役者毎の感想が書けないことがもどかしい!)
千秋楽の役者紹介のときに鴻上さんは「今回は最初にやりたい役を聞いた」とのことで、ほぼそのやりたい役の通りのキャスティングになったそうな。
14回目にして、この劇団はいつでも絶対に楽しませてくれるという、ますますの「安定感」「安心感」が増したようです。
だから私は、第三舞台時代の名作をどんどん虚構の劇団で上演してほしいという願いが湧いてきました。もう、不安に感じることはないです。

…で「虚構の劇団で演じる意味」が十分あったということは、もう一つ、
「ピルグリムをこのSNS全盛の2019年に蘇らせた意味について」を考えると、
私は1回目に観たときに感じた「よくわからない違和感」を思い出します。

1回目に観たときに、
「なぜか私の中で「ピルグリム」と言う物語が一旦リセットされてた」
事に気づきました。それが違和感でした。

なぜ、私はピルグリムを忘れていた?
なぜ、私は一歩引いて楽しんでいる?
なぜ、私はこんなにも冷静なのか?
こんなに面白いのに?

実はこの印象は2回目も同じでした。むしろ違和感はますます強くなってました。
そして、その違和感の理由が、物語のクライマックスでやっと気づきました。

かつて「目に見える自分」にとって「目に見えない自分」は、「理想」であり「目標」であり、また「嫉妬」すべき存在で、だからみんな「目に見えない自分」と「目に見える自分」との間の広さと高さに悩み苦しみもがいていたと思うのです。
…いや、かつて、じゃないな、「数年前まで」かもしれない。
でも今はきっと違う。
現在、「目に見えない自分」は、ある意味「邪魔」で「厄介」に思ってしまう存在にもなってしまったのかもしれない。
あるいは、「いてもいなくてもいい」存在。
SNS隆盛の時代に慣れてしまった今、私はなんとなく、そう感じるのです。

本来は表裏一体だからこそ、どうしても意識してしまう「目に見えない自分」。
でも今は「目に見えない自分」を意識することなく生きる事ができる。
だって、「目に見えない自分」の代わりが、Twitterに、Instagramに、
Facebookに溢れているのだから。

「つながり孤独」として、他者との関係性のコンプレックスが可視化されるのなら、
「目に見える他者」の方が「目に見えない自分」より分かりやすく目標にできるのだから、それは20世紀末の集団論が通用しないことを意味するわけで。
だって今は「ユートピア」より「ディストピア」の方が求められるんだから。

そんな中で求められる「オアシス」の役割も大きく変わってしまったから、
この「ピルグリム」と言う物語の価値が、時代によって大きく変容してしまったということで。
私はそこに「違和感」と「引いて楽しむ自分」を感じてしまったのかもしれない。
それは「老いた」ということでは決してないと思う。思いたいのです。

じゃぁ、2019年に「ピルグリム」って上演する意味はないんじゃないの?
って言うかもしれませんが、それは違います。
一つの普遍性のある物語が、時代とともにその意味を変えていくのは正しいことで、そこからまた新たな価値と意味が生み出されるのであって。

だから、私は「ピルグリムの2019年版」を観に行こうとして、
「ピルグリムによってあぶり出された2019年」を感じてしまったのかもしれません。

これが私の感じた違和感の全て…だとは思ってません。
でもきっと何らかの重要なファクターなのかもしれないと。

ひょっとしたら「ピルグリム2019」という公演は、
壮大な実験なのかもしれない。そんな妄想を抱いています。
「目に見える自分」と「目に見えない自分」の、次の元号で起こるであろう
新たな旅のシミュレーション。

黒マントは、きっとその旅を観察し記録するために、
16年ぶりに召喚されたのではないかと、私は妄想しています。

あと1ヶ月で平成が終わり、日本は次の時代に移ります。
誰がなんと言おうと、「次」はやってきます。
なので、私は「次」に既に思いを馳せます。
鴻上さんが、虚構の劇団が、次に作り出す物語を。
次に生み出される(はず)の、「虚構の劇団」の新作を。


今から不安ちょっぴり、期待ワクワクに、私は待っております。
(その前に大阪と愛媛頑張って!)

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