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オリヴィエ・メシアン『アッシジの聖フランソワ』音楽分析


はじめに


本稿はオリヴィエ・メシアンの晩年の大作オペラ『アッシジの聖フランソワ』の音楽分析である。2017年に読売日本交響楽団による同作上演に際し、関係者の作品理解のために私的に作成したものを、加筆修正したものである。メシアンの音楽語法については『わが音楽語法』(1944年、平尾貴四男訳)があり、平尾訳が絶版になった後『音楽言語の技法』(細野孝興訳)として最近復刊した書の中に詳しい。ただしその原書は1944年に書かれたため、その後の音楽技法についての言及がない。それについて知るにはメシアンの死後出版された『リズム、色彩、鳥類の作曲法』に拠らなければならない。しかしこの書はフランス語版のみであるため、その内容について知ることは中々困難である。『アッシジの聖フランソワ』の音楽の仕組みについて知るためには、戦後に編み出した種々の技法を知ることが肝要である。『音価と強度のモード』『均斉置換』などリズムに関するもの、そして最も重要なのは和音に関する知識である。この分析ノートではまず『アッシジ』を理解するために必要な和音についての解説から始める。またアレン・フォートによるピッチクラス・セット理論を用いて和音のナンバリングを試みる。フォートネームは複雑な和音の把握を容易にするツールだからである。『均斉置換』『音価と強度のモード』はそれらが登場する3場、7場で説明を加える。

日本語によるメシアン後期の音楽語法解説は多くない。また『アッシジ』の詳細な日本語による分析書も筆者はほぼ未見である。メシアンの音楽世界に魅了される人は多いが、その秘密に触れる機会が中々ないのは残念なことである。この分析が音楽を専門に勉強する方、作曲家、指揮者、音楽関係者、将来アッシジを歌いたい方、そしてメシアン音楽の愛好家にとって理解の一助となることを期待して本論に入っていこう。なおオペラの概説(登場人物・ストーリー等)に関しては他の資料に詳しいことであるので特には扱わない。また本稿の理解のために『音楽言語の技法』(細野孝興訳)も合わせてご覧頂くことを強くお勧めする。

なお本稿中メシアンの著作物・楽譜より引用しているが、それは以下のものである。

OLIVIER MESSIAEN SAINT FRANÇOIS D'ASSISE VOLUME 1~4
Partition piano e chant(Editions Alphonse Leduc)

OLIVIER MESSIAEN SAINT FRANÇOIS D'ASSISE Partition d'orchestre(Editions Alphonse Leduc)

OLIVIER MESSIAEN TRAITE DE RYTHME, DE COULEUR ET D'ORNITHOLOGIE TOME Ⅶ (Alphonse Leduc)

オリヴィエ・メシアン/平尾貴四男訳 「わが音楽語法」(教育出版)

Part 1 和音の解説


洪水のように多種多様な和音が使われる「アッシジ」であるが、メシアンが好んで使う和音は以下の6種類である。

1 移調の限られた旋法

Modes à Transpositions Limitées
略称 MTL

何度か移調を繰り返すとものと音列に戻ってしまい、移調回数の限られる旋法をメシアンは7種生み出した。例えば半音+全音の幅で音を拾っていく第2旋法は、半音上、全音上に移調すると異なる音列が得られるが、短3度上げると元の音列に戻ってしまう。これを移調可能性が3回しかないと表現し、元の音列を第2旋法第1移調、半音上げたものを第2旋法第2移調、全音上げたものを第2旋法第3移調と呼ぶ。

・第1旋法:移調2回 (6音)

全音音階。ドビュッシーにより素晴らしく使われたのでメシアンは注意深く使用を避けている。使用する時は目立たないように使われる。

・第2旋法:移調3回 (8音)

『半音+全音』のサイクルが4回

メシアンのMTLの中で最もよく使われている。

和音進行の例

・第3旋法:移調4回 (9音)

『全音+半音+半音』のサイクルが3回

MTL2と並んで最もよく使用される。鳥の歌の和音にも使われる。

和音進行の例

・第4旋法:移調6回 (8音)

『半音+半音+短3度+半音』のサイクルが2回

半音3つに短3度を含む。アッシジではほとんど使用されない。

・第5旋法:移調6回 (6音)

『半音+長3度+半音』のサイクルが2回

MTL4から1音抜いたもの。アッシジではほとんど使用されない。

・第6旋法:移調6回 (8音)

『全音+全音+半音+半音』のサイクルが2回

MTL2、3に次いでよく使われる。

和音進行の例

・第7旋法:移調6回 (10音)

『半音+半音+半音+全音+半音』のサイクルが2回

音の数が多く移調可能性が多いので魅力が少ない。

略称はMTL、第2旋法はMTL2、第3旋法はMTL3というように表記する。また移調形を含む表記はMTLの表記なしに旋法の数字の肩に小数字で表す。

例)
第2旋法第1移調 → 2¹
第2旋法第2移調 → 2²
第3旋法第4移調 → 3⁴

MTLは調性と頻繁に結びつく。MTL2の中には4種の長3和音が含まれている。2¹ならば C: Es: Fis: A:である。またMTL3の中には6種の長3和音が含まれている。3¹ならばC: Es: E: G: As: H:である。これらをMTL特有の和音とともに使うことができる。1幕3場62番天使の音楽や、同94番レプラ患者の踊りの場面はその顕著な例である。「アッシジ」の中で重要なのはMTL2,3,6である。

2 同一バス上に移置された転回和音

Accord à Renversements transposés sur la Même note de Basse
略称 ARMB

属音上に音階の音すべてを配置してみる

これにアッポジャトゥーラを付けてみよう

この最初の音が「属音上の和音」である。これはすでに「わが音楽語法」で発表されていたが「アッシジ」ではこれが拡大されてこの和音の転回形を用いる。

基準の低音をC#にするとこのような配置になる

アッポジャトゥーラをそのままにし低音のC#をペンタトニックの一番上になるように転回するとこのような配置を得る
低音部は密集の6の和音になっている(5音と6音が隣り合っている)

再び転回、低音部に密集の6の和音が得られるようにC#は上方へ移動している

再び転回してみるが、G#が低音だと密集の6の和音が得られない(G#-H-D#-F#)そのためメシアンはこの転回形は採用しなかった。

次の転回形は以下のようになる。GとCは6の和音とぶつかるのを避ける為上方へ。

次の転回は再び開始音と同じ低音がC#になる。(上方にあるC#は本来下にあった)

このようにしてスタートの和音を含め4つの転回和音を得た。これらの和音を「すべて同じ低音になるように移置」(この場合C#)してみることにする。以下がその結果である。

これが「同一バス上に移置された転回和音」の意味するところである。

低音をC#にした上記の和音を 1A 1B 1C 1D と表記することにする。これを半音ずつ上げていき 12A 12B 12C 12D まで48種の和音を得ることができる。

「同一バス上に移置された転回和音」の略称はARMB、何も注釈なしに1Aなどと書いてあればこの和音のことである。「アッシジ」においては最頻出和音であり、あらゆる箇所に発見できる。3幕7場64番にはこの譜例そのままの進行が確認できる。3小節目は短3度上に移調されているので 4A 4B 4C 4D と表記できる。
(ご覧頂くとわかるが、1B の和音組成と 4C の和音組成は同一である。このように1つの和音は4種の同種組成和音を持つため、48種の和音は組成的には実質12種類に集約される。)

1幕1場9番「完全なる喜びの主題」もすべてこの和音でできている。重複する音を含むがこの主題は 11A 11B 7C 11A 8B と表記できる。

またフランソワの祈りの歌のコーダに使用されるが、5A 5Bと進むこの和音の典型進行である。


3 縮約された倍音の和音

Accords à Résonance Contractée
略称 ARC

メシアンの代表作の一つである「世の終わりのための四重奏曲」の第7楽章、「世の終わりを告げる天使のための虹の錯乱」に現れる2つの和音がもとの素材である。

まずⒷの和音から見てみよう。小節最後の和音(Es-B-As-Des-F)は属9の和音の導音(G)を主音(As)にしたものでありペンタトニックを形成する。その前に5重のアッポジャトゥーラを付けたのが前の和音。D音とE音は、ペンタトニック和音の根音Esの第15倍音と第17倍音であるが、これを下方に持ってきて「下方共鳴音」として用いている。

このD音E音を上のオクターブに密集音としてまとめ、2つの和音のバスとしてそれぞれ付加すると

という和音進行を得る。これが
「縮約された倍音の第1和音」
である。

「縮約された倍音の第1和音」の略称は1ARC、
上記和音を1A 1Bとし、半音ずつ上げていき12A 12Bまでの和音を得る。
分析においては1ARC:1A などと表記する。

同様の方法でⒶの和音を処理してみよう。
後ろの和音に4重のアッポジャトゥーラを付けたのが前の和音。
下方共鳴音は基音Fisの第5倍音と第11倍音。

このB音C音を上のオクターブに密集音としてまとめ、2つの和音のバスとしてそれぞれ付加すると

という和音進行を得る。これが
「縮約された倍音の第2和音」
である。

「縮約された倍音の第2和音」の略称は2ARC、上記和音を1A 1Bとし、半音ずつ下げていき12A 12Bまでの和音を得る。分析においては2ARC:1A 1Bなどと表記する。なおメシアンによると2ARCは「常に2和音がセットで一つの色彩」なのだそうだ。

下方共鳴音として現れる倍音を縮約して一つの和音にまとめているのが「縮約された倍音の和音」と言われる所以である。

使用例として2幕4場のフィロモンの鳴き声をあげておこう。最初の4音が1ARC:4B 2A 2B 10B 一つおいて 2ARC:11A 11B である。5つ目と8つ目の音は「総半音階和音」の項で後述する。


4 倍音の和音

Accord de Résonance
略称 AR

これは「わが音楽語法」にも載っている和音。
基音から第4,5,6,7,9,11,13,15倍音を一度に鳴らした和音。
前述の「縮約された倍音の和音」と名称は似ているが全くその組成は異なる。

略称はAR、上記和音をCが基音になる和音であるから AR: C と表記する。
復活に関して述べる場面にはこの和音が登場する。例えば1幕3場59番、小節の後ろ2つの和音がこれである。また60番ジェリゴーヌの和声もこれである。もともと単音の倍音からなる和音なので調性との親和性も極めて高い。そしてこの和音の構成音はすべてMTL3に属している

フランソワが「よみがえりの時に」と歌う


5 回転する和音

Accords Tournants
略称 AT

色彩の異なる3つの8音和音を以下の3種類作る。「7つの俳諧」や「キリストの変容」ではこれらの様々な転回和音、配置を組み替えた和音が用いられている。

上記配置を1A 1B 1Cとし半音づつ下げていき12A 12B 12Cまで作る。分析ではAT:12C などと表記する。「アッシジ」では1幕3場119番レプラの改心の場面や、3幕8場5番低音のフランソワの動機の上方に響く和音として使用されたり、フランソワの死の直前同場102番などに使われているが、使用箇所は多くない。


6 総半音階和音

Accords du Total Chromatique
略称 ATC

1オクターブの半音12音をすべて鳴らした和音。クラスターとしての使用もあるが、多くの場合8音からなる本体の和音とそこに使用されていない4音を上方共鳴音とした配置で使われる。本体の和音の配置はほとんどこれであり、上方共鳴音を伴わない8音和音としても重要な使われ方をする。この8音和音はARMBの7音和音に1つ音を足したものであり、ARMBとの親和性が高い。

略称はATC、上記の配置をATC:1 とし、半音ずつ上げていきATC:12 までを得る。「アッシジ」では多用される。前述のフィレモンの5つ目の音はATC:12、8つ目はATC:7の8音和音である。なおこれ以外の本体和音が使用されることもある。その補集合にあたる残りの音が上方共鳴音として全体でATCを構成する。


分析ツールとしてのForte name


以上メシアンの和音について説明したが、これらの知識を得たとしても複雑な和音構成を把握するのは容易ではない。上記和音以外のものも多数使用されるからだ。特に鳥の歌に使用される和音の把握には困難が伴う。そこで理解のためのツールとして、和音の形態を数値として表せるアレン・フォートの「ピッチクラス・セット理論」を利用したい。

1個以上の音の組み合わせは222通りに還元される。それをナンバリングして「フォートネーム」(Forte Name)を作った。以下に一覧表がある。(音数が3~9のもの)

なお「ピッチクラス・セット理論」についてはアレン・フォートの著書があるので参照されたい。

https://www.amazon.co.jp/本-アレン-フォート/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3Aアレン+フォート

以下は英文であるがピッチクラス・セット理論の概要や表の見方を比較的簡易に学べるものである。

このナンバリングを使用し複雑な和音の組成を可視化する。和音が移置されていたり転回されている場合でも同じフォートネームであれば同一の種類と判別できる。

ここで便利なものを紹介しよう。音列や和音に使用されている音をインプットするだけでフォートネームを始め、サブセット、スーパーセット、Z-mateなどを教えてくれる計算機である。


さて、ここで今までに説明した旋法、和音のフォートネームをあげておく。

MTL1  6-35
MTL2  8-28
MTL3  9-12
MTL4  8-9
MTL5  6-7
MTL6  8-25
ATC の8音和音 8-16
ARMB  7-20
1ARC:A  7-Z36 1ARC:B  7-Z12
2ARC:A  6-Z19 2ARC:B  6-Z43
AR  8-24
AT:A  8-5 AT:B  8-4 AT:C  8-14

以上を予備知識として作品の音楽分析を試みる。



Part 2 作品分析


これより各場面ごとの分析に入る。まずはフルスコアに掲載されているオーケストラ編成について確認しておこう。特に木管楽器の巨大さと3台のオンドマルトノの配置指定に留意しておこう。合唱団は150人が指定されている。


「アッシジの聖フランソワ」第1幕


第1場「十字架」


開始はシロフォン、シロリンバ、マリンバ3人によるヒバリの鳴き声から。ヒバリはフランソワを象徴する鳥。“J'ai peur”のテーマソングに乗ってレオーネが歌い出す(2番)。

レオーネのテーマ:

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