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バティストゥータが語るプロフェッショナル

今回は、アルゼンチン代表やフィオレンティーナなどで活躍したサッカー界のレジェンドバティストゥータの記事を書きたいと思います。

1990年代を代表するフォワードの一人で、長くイタリア・セリエAで活躍し、セリエAの外国人最多通算得点記録を保持している。またアルゼンチン代表にも選抜され、歴代2位の得点記録保持者である。
(Wikipedia引用)

【リーダーの素質と考え方】

バティストゥータは、フィオレンティーナなどでキャプテンを務め、チームのリーダーとして選手を引っ張ってきました。

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バティストゥータは、リーダーになろうとしてなったわけではない、周りの人が僕の取り組む姿勢などを見て判断したんだと思うと語っていて常にチームが向上するように考えていたと言っています。

バティストゥータはリーダーの考え方についてこう語っています。

「チームにリーダーが1人いるだけじゃ意味がないんだよ。20人のチームなら20人がリーダーとしての自覚を持てばチームはもっとよく機能する。でもリーダーって言うのは自分でなりたいって立候補してなれるものじゃなくてチームメイトから認めてもらうことなんだよ」

そしてキャプテンとリーダーの違いにも言及しています。

「ローマ時代のキャプテンはトッティだった。彼は当時22歳で単純な経験の差からチームを引っ張っていける選手ではなかった。もちろん後に経験を経て良いキャプテンになったけどね。当時は僕を含めカフー、サムエル、エメルソンなど経験豊富な選手が多く在籍していたよ。でもキャプテンマークを巻いていたのはトッティだ。なぜなら彼はローマの象徴だったからね。」

キャプテンとリーダーは同じであるとは限らないとバティストゥータは語っています。


【プロになってからは楽しめなかった】

バティストゥータは、小さい頃から色々なスポーツが好きでサッカーも趣味の一つでやっていました。

徐々にサッカーにのめり込みニューウェルズオールドボーイズでプロの選手となりました。そのプロになり少し経った時には楽しかったサッカーが、重圧やプレッシャーに変わり責任感とともに楽しさは少なくなったと言っていました。

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このような感じていたからこそリーダーに相応しい選手だったのではないでしょうか?

ですが楽しくないことだけではなく、成功に向かって取り組むことは楽しかったと言っていて、できないことをできるようにするその過程はプロの中でも楽しんでいたよと言っています。

バティストゥータはこんなエピソードも語っています。

「小さい頃は、思いっきりシュート打てば全部ゴールだったよ、でもそればかりやっていてもつまらないから色々な形のシュートの練習をしてできるようにしていったよ。強くシュートすることしかできないって馬鹿にされたりもしたけどいっぱい練習して違うこともできるようになるのが楽しかったんだ」

バティストゥータがサッカー選手として成功した秘訣は間違いなくこの文に詰まっていると思います。

【人としての成功とこだわり】

これまでバティストゥータのことを書いてきましたが、バティストゥータという人物が少しわかってきたと思います。この章ではそんなバティストゥータならではのこだわりやサッカー選手としてだけではなく人としての成功について書いていきます。

バティストゥータは、フィオレンティーナに長く在籍し、その間に降格なども経験しましたがそれでもチームを変えなかった理由をこう語っています。

「当時のレアルマドリードやACミランは強かったしそう言ったチームに行くチャンスはいくらでもあったよ。でも僕はフィオレンティーナでそういったチームに勝つことを好んだんだよ。弱者が強者を倒すのが好きで強者にいて勝ち続けてもつまらなくなってしまうんだ。その分そういったチームに勝てたことは少なかし、タイトルもあまり取れなかったけどフィオレンティーナにいたほうが幸せだったと断言できるよ。サッカー選手としてではなく一人の人として勝者だと僕は思っているよ」

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【引退後はオーストラリアへ】

現役を退いてから長期に渡り暮らしていたイタリアに住むか、母国であるアルゼンチンに戻るか悩んでいたとき奥さんと4人の子供と共にオーストラリアに住む決断をします。

バティストゥータがオーストラリアに移住した理由は英語を覚えたいということと、自分のことを知ってる人が少ない場所に行きたかったからだと言っています。バティストゥータはイタリアやアルゼンチンではスーパーマーケットに行くことすらできなかったためプライベートが確保できる場所としてオーストラリアを選びました。

そしてバティストゥータはオーストラリアに在住していた時の面白いエピソードを語っていました。

「オーストラリアに住んで友人達とゴルフに行く機会があったんだ。当時オーストラリアはワールド杯初出場を決めた時でオーストラリア人が国を代表することの素晴らしさを誇らしく語っていたんだよ。僕は友人達に自分がサッカー選手だったということは言ってなかったから頷くように聞いていただけだったけど、自分は幸せなんだと感じたよ。国民の人達がこんな風に思ってると知って現役時代にはいっぱいいっぱいで気づかなかったけど幸せなことだったんだと実感したよ」

バティストゥータは、人として責任感が強い人でそのような性格から現役時代は楽しむことができませんでした。ですがそのような性格だからこそサッカー界に名を残す選手になれたのです。また現役を終えたあとにこのエピソードのように自分が辿ってきた道は素晴らしいことで本当に幸せなことだと実感しています。

このバティストゥータの記事を通じて皆様にサッカーの素晴らしさが伝わっていれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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