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令和三年を徒然に振り返る

私の令和三年は還暦イヤー。60年生きてきたスタイルを変えてみた。終活というにはちと早いが、それでもこれからどう老いていくかという点は意識せざるを得ない。もはやオジサンのカテゴリーではなくオジイサンと見られる年齢。実際に初孫も産まれた(今朝!) 事だし。確かに様々な観点で体力(運動能力・反射神経・記憶力・消化力・酒量-笑-など)は落ちたが、それでも気力は衰えていない。

長野県の八ヶ岳山麓標高1280mの地に拠点を構えて丸三年。本格移住して丸一年。コロナ禍の中、東京多摩の家には私自身はほとんど戻れなかった。従来趣味としていたスポーツ観戦や観劇はほぼオンライン、必ずしも十分満足とは言えないが、それでもそれなりに楽しんだ。何よりも自然に近く、密でない環境は、心を穏やかにさせる。冬の暖房エネルギーは自己調達の薪。夏も冷房要らずで年間を通して電気代は格安。ガスなし、電動汲み上げの井戸水で、エコ且つ低コスト。

コロナが行動様式を変容させたと言われている。コロナが理由なのかはともかく、私自身の行動は確かに変容したし、それは考え方が変わったからとも言える。「ねばべき」という言葉があると最近知った(遅いか笑)。なるほど、還暦前はその傾向が強かったかもしれない。そして今はそこからは解放され(たように思う)、ストレスは減った。

長野県の上場企業からご縁をいただき一年働いた。この度の株主総会で常勤監査役に選任されたので、これから何年も同じような生活が続くだろう。コーポレート・ガバナンスやコンプライアンスはまさに「ねばべき」の世界。でも教科書通りには物事は進まない。そんな中で最適解を見つける日々はより頭を使うし、また本質的であるように思える。

原村の住処の近くには「信玄棒道」が通る。この道を通って武田軍は甲府から諏訪、そして川中島に出陣したらしい。改めて戦国時代を調べてみて、武田は上杉、北条、徳川、織田との勢力争いにおいて、真田の力を活用しながら、上州方面にも進出していたことを最近知った。勉強不足を恥じ入る一方で、平日単身で過ごすこととなった佐久・小諸あたりを通る中山道が、往時は交通の要所として戦国武将たちや江戸時代の参勤交代を見守っていたことに思いをはせてみたりする。

七年に一度の御柱祭の開催はもう数か月後だ。諏訪大社(上社本宮・前宮、下社春宮・明宮)の四宮の柱の準備が進んでいる。諏訪大社のいわれはなかなか興味深い。伊勢や出雲とはちと違う。独特の神話の世界が身近にあって引き込まれる。さらに時代を遡ると、この辺りは黒曜石が大量に採れたため縄文時代に人が集まってきた地域で、山から見下ろす里の景色に古(いにしえ)の生活ぶりを重ねて想像するのも一興だ。その頃には「ねばべき」なんて考えはなかったろう。もっと自由だったはず。

諏訪大社といえば、上社にお詣りに行く機会が増えた。先日、人間ドックで引っ掛かった項目があり、再検査を二度受けたが、年始のおみくじに「病気(やまい):信心により治る」とあって、心穏やかに「整いますように」と祈った。結果は悪性ではなく安堵した。ただ、これも一つの戒めと健康にはこれまで以上に留意する気持ちになった。二月に薪調達のため丸太の運搬していて大けがをしたのも、逆に「よくこれで済んだ」と感謝し、慎重に事を運ぶ教訓にしている。暮らしているといろいろ起きる。それを嘆かず受け入れる。この歳になってようやく大人になった、のかもしれない。そして神様のおかげということは、周囲の方々のおかげ、ということでもある。ご縁に感謝しながら、改めてこの歌を噛みしめてみる。

吹く風に 沖べの波は 高けれど こころ静けき わが港かな

来年のおみくじがどんな歌を届けてくれるかわからないが、令和三年初詣でのおみくじで出会ったこの歌は、どんなときも座右に置いておきたいと思う。

読んでくださった皆様にとって、令和四年が穏やかな一年となりますよう。

#移住ライフ #還暦 #八ヶ岳 #諏訪大社




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