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観劇日記 #文学座 #夏の夜の夢
この形式で書くのは何年振りだろう。コロナ前には及ばないまでも、年数回観劇はしていた。でも、何かリズムが違った。その最大の理由は、終演後の関係者との会話の有無にあるような気もする。今日はオーベロン/シーシュース、タイテーニア/ヒポリタ、ハーミア、ヘレナ、ライサンダー、ディミートリアス、そしてボトムと言葉を交わす事ができた。
前回観た地獄のオルフェウスでも感じた事。人となりを知る俳優がこう演じるんだという発見。これは、文学座の作品を観るときの、ボクが持つおそらく独特の見方だと思う。想像がある程度できる俳優もいれば、想像を越えたパフォーマンスを魅せてくれる人も。持ち味を出してくれるケースと、新たな魅力を感じさせるケース、の方が正確かも。
この日のシェークスピアも同じだが、特に夏の夜の夢はこれまでいろいろ観てきたこともあって、鵜山さんがどう料理するんだろう、という楽しみは際立っていた。ボク的にツボを突いていたのが、2組の若い男女の組み合わせ(まひろ・まさみ・倫太朗・一平)、鵜山シェークスピアを良く知る石橋・吉野、そしてパック中村・ボトム横山をはじめとするベテラン(おじさん)+(地獄のオルフェウスで好演)小谷の妖精 という配役だった。
特にパックとボトムという重要なポジションの二人が醸し出す味は、今回の作品にとってキモではなかったか。あのパック・ボトムを見せられると、なるほどねと膝を打つ。
石橋吉野はもはや貫禄。セリフの韻が心地よい。
池田・奥田、平体・渡邊はそれぞれ同期。この四人が繰り広げる夢とうつつの交差がどうなるのか、観る前からワクワク、始まってどきどき、幕間でまたワクワク、カテコで拍手喝采。目が合うのも最前列の特権。いやもう、成長したね、なんて言葉は、かけちゃ失礼だな、と。素晴らしい。
最近のマイブームは脳と認知。AIによるシンギュラリティを1999年に世に問うたのがマトリックスだが、シェークスピアは400年前にそういうことを考えていたのかもしれない、なんて荒唐無稽な事が観劇中に頭をよぎった。私たちが現実と認識しているものは、脳がそう解釈したものに過ぎない。だとすると、妖精たちが支配する世界だって、必ずしも夢ではないのかもしれない。劇中劇を観ている貴族の一部不条理な動きをどう解釈するのかな、と考えながら、そんな事も脳裏をかすめた。
旧知の座員、新たに加わった準座員の皆さんとも話ができ、ようやくあの頃の楽しみが戻ってきたことを実感したmidsummer nightだった。
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