行動経済学から読み解く長時間労働
本稿では行動経済学の観点から,なぜ,人々が長時間労働をしてしまうのかを議論する。行動経済学では労働者の選好や特性に着目をする。労働者の選好や特性を把握するために独自アンケート調査を作成し,A 社内で調査を実施した。調査データとA 社から提供を受けた人事データを組み合わせて行った 3 つの分析を紹介する。第 1 に,長時間労働しやすい人の行動経済学的特性を明らかにする。子供の頃の夏休みの宿題を後回しにするといった先送り傾向のある人は深夜残業しやすいことがわかった。また,他人のことを気にする人ほど残業時間が長いこともわかった。第 2 に,A 社内で行われた働き方改革の政策評価を行い,行動経済学的特性によって働き方改革の効果に異質性があるかを議論する。 A 社は月の残業時間上限を原則 45 時間とし,働く場所と時間を自由にする働き方改革を行った。その結果,改革前において月 45 時間以上の残業をしたことがある人の残業時間は有意に減少した。中でも,先送り傾向のある人や他人のことを気にする人の残業時間が削減された。ただし,これらの人は,働き方改革後も依然として残業時間が長い。第 3 に,個人の労働時間は同僚の労働時間の影響を受けるかを明らかにする。同僚が長時間労働しやすい人ほど,労働時間が長いことがわかった。働き方改革には長時間労働を是正する効果が見込まれる。より効果を発揮するために,行動経済学の知見が活用されることを期待する。
目 次
はじめに
行動経済学的特性と労働供給
長時間労働者の行動経済学的特性
働き方改革の政策評価
長時間労働のピア効果
おわりに─働き方改革への示唆
はじめに
2019 年 4 月 1 日より働き方改革関連法が順次
施行されている。働き方改革のポイントの 1 つとして,長時間労働の是正を目的とした時間外労働の上限規制が導入された 1)。1988 年に改正労働
基準法が施行され,法定労働時間が週 48 時間か
ら週 40 時間へと段階的に引き下げられ,雇用者全体でみると,労働時間は減少傾向にある。しかし,フルタイム雇用者の労働者は依然として長時間労働をしている(Kuroda 2010)。長時間労働には健康の悪化や生産性の低下をもたらすという問題がある(黒田 2017)。こうした問題点があるにもかかわらず,なぜ,人々は長時間労働をしてしまうのだろうか?
伝統的な経済学では,長時間労働をもたらす要因として,労働需要や労働市場の構造といった要因に着目がなされる(山本 2019)。例えば,労働需要に関しては,労働時間に関係なく一人当たりにかかる固定費用(採用費用,解雇費用,人的投資など)が高い場合,新しく人を雇うよりも既存の労働者を長く働かせることで,企業は利潤最大化を目指す(Rosen 1969)。労働市場構造に関しては,買い手独占では交渉力が低下し,労働者自身が自由に選択できる労働時間が少なくなる(山本・黒田 2014)。
一方,行動経済学では,労働供給,特に,労働者の選好や個人特性に着目をする。行動経済学では伝統的な経済学の予想が体系的にズレることを明らかにしている。例えば,伝統的な経済学の予想では,人々は計画を立てると計画通りに実行できる。しかし,将来のことであれば我慢できても今のことになると我慢できないという現在バイアスと呼ばれる性質により,計画を立てても計画の実行を先送りにしてしまうことを行動経済学の研究で明らかにされている(Laibson 1997;O’Donoghue and Rabin 1999, 2001;池田 2012)。プレゼン資料を早めに準備しておこうと計画を立てても,資料作成を先送りし,プレゼン前日に残業してしまうことはないだろうか? また,伝統的な経済学では,本人のみの費用と便益の大小関係に基づいて効用最大化をすると想定されている。しかし,行動経済学の研究では,他者の存在も考慮して効用の最大化を行っていることが示されている(Fehr and Schmidt 1999)。自分の仕事が終わっていても,他の人が残業していれば,帰りづらいと感じて,自分も会社に残ってしまうことはないだろうか?
本稿では,このような行動経済学的特性が長時
間労働に与える影響を明らかにした筆者自身の研究( 黒川・佐々木・大竹 2017;Kurokawa, Sasaki and Ohtake 2017)を紹介する。これらの研究はA社から提供を受けた労働時間に関するデータと,筆者らがA 社内で行った行動経済学に関する独自アンケート調査を組み合わせて,分析を行ったものである。結果を先取りして要約すると,黒川・佐々木・大竹(2017)では,先送り傾向のある人や他人のことを気にする人が長時間労働しやすいことを明らかにした。また,A 社内で行われた働き方改革の政策評価を行った。月の残業時間上限を原則 45 時間とし,働く場所と時間を自由にするというA 社の働き方改革は残業時間の削減に成功したことを明らかにした。Kurokawa,
Sasaki and Ohtake(2017)では,長時間労働しやすい人がチームメンバーに加わると,既存のメンバーも長時間労働しやすくなることを明らかにした。
行動経済学による研究は伝統的経済学の予測との体系的なズレを明らかにするだけでなく,ナッジ(セイラー・サンスティーン 2009)に代表されるように,クセを活用した対策の提案もできる。例えば,仕事の先送りを防ぐためには,目標設定をすること(Hsiaw 2013;Kaur, Kremer and Mullainathan 2015)や,細かな締切りを作ること(Ariely and Wertenbroch 2002),チームワークを行うこと
(Fahn and Hakenes 2019)がコミットメント(Bryan, Karlan and Nelson 2010;エアーズ 2012)として有効である。また,他人のことを気にする人に対しては,その人が少数派であることを強調することが効果的(Hallsworth et al. 2017)であるので,「ほとんどの人は残業していません」というようなメッセージが効果的であると考えられる。
以下では,次の構成で議論を進める。Ⅱでは,行動経済学的特性と労働供給の関係を整理し,行動経済学的特性が長時間労働に与える影響を考察する。Ⅲでは,行動経済学的特性と長時間労働の関係を明らかにした分析結果を示す。Ⅳでは,残業時間の上限目標と柔軟な働き方の導入といった働き方改革の政策評価を行う。Ⅴでは,同僚の長時間労働傾向が個人の労働時間へ与える影響を分析した結果を示す。Ⅵでは,以上の議論をまとめ,働き方改革への示唆を述べる。
行動経済学的特性と労働供給
本節では行動経済学の観点から労働供給について考察する。行動経済学では伝統的な経済学と異なる点がいくつかあるが,ここでは 4 つの点を取り上げる 2)。第 1 に,水準だけでなく変化も気にする。第 2 に,将来よりも今を気にする。第 3 に,
他人の存在も気にする。第 4 に,正しい予想ができない。伝統的な経済学の標準モデルに,これらの点を組み込むことで,経済学を用いて,現実をうまく説明することができるようになる。以下では,これらの 4 点について簡単に解説するとともに,労働供給との関連を示し,長時間労働に対する示唆を述べる。
参照点依存型労働供給
水準だけでなく変化も気にするという性質は,プロスペクト理論(Kahneman and Tversky 1979; Tversky and Kaheneman 1992)の参照点依存に対応する。伝統的な経済学の効用関数は,水準のみに依存する。それに対して,プロスペクト理論では,ある基準を参照点とする価値関数に基づいて意思決定がなされる 3)。その参照点よりも大きい利得局面では価値関数は危険回避的な形状をしており,参照点よりも小さな損失局面では価値関数は危険愛好的な形状をしている。さらに,「1 万円を得た」という利得による価値と「1 万円を失った」という損失による価値では,後者の損失局面における価値のほうが約 2 倍大きいという性質(損失回避)もある。
伝統的な経済学の労働供給の考え方では,一時
的な賃金の上昇は労働供給を増加させると予想する。時間当たり賃金が高いときに長く働き,賃金の低いときには労働時間を短くして余暇を消費するという異時点間の労働供給の代替を行うからだ。つまり,労働供給の弾力性は正となることが予想される。
ところが,労働供給の弾力性は負となることが,ニューヨーク市のタクシー運転手のデータから明らかになった(Camerer et al. 1997)。タクシー運転手は,事前に決めた 1 日の所得目標を参照点とし,その参照点に依存した労働供給をしているということが指摘された。雨の日など時間当たり賃金が高くなるようなときには,目標金額に早く到達するので,労働時間が短くなるのである。 Camerer et al.(1997)ではモデルが定式化されなかったが,Crawford and Meng(2011) では, Kőszegi and Rabin(2006)によって定式化された期待に基づく参照点を労働供給関数に当てはめ,タクシー運転手の労働供給を検証した。タクシー運転手は期待所得と期待労働時間の 2 つの目標を設定しており,どちらかの目標に達すると,労働供給をやめるということが明らかになった。
人々の期待労働時間が長く,期待所得が高いと
いうケースを考えよう。時間当たり賃金が低い場合,長時間労働を引き起こしてしまう可能性がある。期待所得に到達できるように長く働いてしまうからだ。長時間労働を防ぐためには,時間当たり賃金を上昇させることが効果的であると考えられる。なぜなら,期待所得に早く到達し,労働時間を短くすることが期待されるからである。また,労働時間の上限規制を設けることも,期待労働時間を短くする効果を通じて,長時間労働を防ぐ効果があると予想される。
先延ばし行動とコミットメント
将来よりも今のことを気にするという性質は,時間選好における現在バイアスと呼ばれるものであ る(Laibson 1997;O’Donoghue and Rabin 1999, 2001)。「今日 1000 円もらうか,7 日後に 1400 円もらうか,どちらがよいか?」と聞かれると,『今日 1000 円もらう』と答える人が多い。また,「1
年後に 1000 円もらうか,1 年 7 日後に 1400 円もらうか,どちらがよいか?」と聞かれると,『1年 7 日後に 1400 円もらう』ほうが良いと答える人が多い。このような回答をする人は,時間非整合的で,現在バイアスがあると言われる。なぜなら,この質問をした 1 年後に,もう一度「今日 1000 円もらうか,7 日後に 1400 円もらうか,ど
ちらがよいか?」と聞くと,『今日1000 円もらう』と答えてしまうことになり,最初の回答と非整合な回答をしてしまうからだ。将来のことは待つことができるが,今,目の前の現在のことは待てないという性質である。
このような現在バイアスは,労働供給にも当てはまる(Augenblick, Niederle and Sprenger 2015)。大学生被験者を実験室に集めて,来週(2 週目)と再来週(3 週目)にオンライン上で行うテトリスやギリシア文字の翻訳といった実労働タスクの配分をさせた。来週になると,その週(2 週目)と次の週(3 週目)に実労働タスクをどのように配分するかの決定を被験者は再び行い,実際に実労働タスクに取り組む。2 週目の配分と比べて,最初(1 週目)の配分のほうが,2 週目に実労働タスクを多く配分していた。つまり,最初の段階では 2 週目に実労働を行おうと計画を立てていた
が,いざ,2 週目になると,実労働の先送りを行うといった時間非整合な行動をとったのである。仕事の先送りを防ぐためには,目標設定(Hsiaw 2013;Kaur, Kremer and Mullainathan 2015)や小刻
みな締め切り(Ariely and Wertenbroch 2002),チームワーク(Fahn and Hakenes 2019)といったコミットメントが有効である。Kaur, Kremer and Mullainathan(2015)は,データ入力会社でフィールド実験を行い,目標を設定させることで仕事の先送りを防ぐことを明らかにした。歩合制で働いている労働者に対して,目標が未達成なら歩合給が半分になるという目標を自分で設定できるようにした。その結果,36 % の労働者が目標を設定した。自分の過去の仕事量の半分とする目標が多く,目標を設定することで生産量は 6 %増加した。目標未達成の場合,歩合給が半分に減って,損をしてしまう。こうした損を避けようと思う損失回避の性質が,仕事の先送りを防ぐ役割を果たしているのである。
Fahn and Hakenes(2019)は,繰り返し相互
作用があり,お互いを監視しあえるなら,チームワークを含んだ関係的契約を結ぶことは,仕事の先送りを防ぐ効果があることを理論モデルで示した。チームワークでは他人の努力にただ乗りするというフリーライダーの問題もあるが,現在バイアスがある人にとって,チームワーク契約が破棄されると,将来,不利益を被る。自分一人で仕事をしなければならなくなったとき,現在バイアスがある人は仕事を先延ばしして,仕事の成果が悪くなってしまうからだ。チームが解消されると,仕事を先延ばししてしまい,将来,不利益を被る。そうならないように,仕事の先送りをせず,きっちりこなすようになるという効果が,チームワークには存在する。
社会選好とピア効果
他人のことも気にするという性質は,社会選好や他者配慮選好と呼ばれるものであり,不平等回避モデル(Fehr and Schmidt 1999)といった考え方がある。不平等回避モデルでは,自分の利得だけではなく,自分と他人の利得の差も考慮した効用関数を想定する。自分のほうが他人よりも利得
が高いときには相手に申し訳ないと不効用を感じる。一方で,自分のほうが他人よりも利得が低いときには相手をうらやましいと不効用を感じる。自分と他人とできるだけ差をなくしたほうが不効用を感じなくなるので,同調行動の説明にも使用される。自分の仕事が終わっても,他の人が会社に残っていると,帰りにくく感じるのは,Ⅲで示すように,このような社会選好が影響していると考えられる。
社会選好の中には互恵性(Fehr and Gächter 2000)という考え方もある。よい行いに対しては良いようにお返し(正の互恵性)し,悪い行いに対しては悪いように仕返しをする(負の互恵性)という性質である。柔軟な働き方のように働き方の権限を雇い主が労働者に与えたとき,労働者自らが働きたいと思って働く内発的動機 4() Romaniuc 2017)とともに,正の互恵性は労働供給を増やす可能性がある。一方で,柔軟な働き方は管理が届かないため労働供給を減らす可能性もある。 Beckmann, Cornelissen and Kräkel(2017)は,ドイツのパネルデータを用いて,労働時間が決まっている労働者よりも柔軟な働き方をする労働者のほうが労働時間が長いことを明らかにした。さらに,労働時間が長くなっている要因は,互恵性ではなく内発的動機であることを示した。柔軟な働き方を認めて,自由に働かせてもらえることに恩を感じて長く働いたのではなく,柔軟に働けることによって自ら進んで働くようになったのである。ただ,いずれにしても,柔軟な働き方は長時間労働を引き起こしてしまう可能性がある点に注意が必要である。
本人自身が他人のことを考慮しようとしなくて
も,他人から影響を受けてしまうピア効果と呼ばれるものもある。Hamermesh and Slemord(2008)は,仕事中毒で長時間を働くような上司や同僚がいる職場環境では,そのような人々の影響を受けて必要以上に長時間労働をしてしまうというピア効果の負の側面を議論している。Collewet, de Grip and de Koning(2017)は,オランダのパネルデータを用いて,自分の周りの人の労働時間が長いと男性は労働時間を増やすことを明らかにした。また,このような周りの人の労働時間と幸福
度は負の相関関係にあることも示し,他人よりも長く働くことを喜ぶという「見せびらかしの労働」仮説と整合的であると考察している。Ⅴで示すように,日本の職場においても長時間労働しやすい人が周りにいると,他の人も長時間労働してしまっている可能性がある。一方で,Kuroda and Yamamoto(2013)は,日本で長時間労働していた人も欧州へ転勤すると労働時間が減少することを明らかにした。日本よりも長時間労働者が少ない職場環境である欧州へ身を移すことで,労働時間が減少したことから,同僚の影響を受けていることを示している。
自信過剰と投影バイアス
正しい予想ができないのは,情報処理能力や計算能力には限りがあるという限定合理性(Simon 1997)によるものである。限定合理性に起因する様々なバイアスが知られているが,ここでは,自分の能力を過大に評価してしまう自信過剰
(Pallier et al. 2002)と現在の状態が将来も続くと考えてしまう投影バイアス(Loewenstein, O’Donoghue and Rabin 2003)を取り上げる。Kuroda and Yamamoto
(2019)は,パネルデータを分析して,労働時間と満足度の関係を見ると,週 55 時間労働を底としたU 字型の関係が描かれることを示した。長く働くことで仕事から得られる効用が高くなる。一方で,労働時間とメンタルヘルスの関係は右下がりの関係である。長時間労働はメンタルヘルスの悪化をもたらすにもかかわらず,長時間,働くことで仕事満足度は上昇する。「自分の健康は良いほうだ」という自信過剰や「このまま長く働いても健康は悪化しない」という投影バイアスが,長時間労働を引き起こしている可能性を指摘している。
長時間労働者の行動経済学的特性
データ
黒川・佐々木・大竹(2017)では,消費財メーカーA 社内で独自に行った「暮らしの好みと働き方に関する調査」と,A 社から提供を受けた残
業時間に関するデータを用いて分析を行った 5)。 2016 年 7 月から 8 月にかけて行った本調査において着目した行動経済学的特性は,時間選好と社会選好である 6)。子供の頃の夏休みの宿題に関する質問から時間選好に関する後回し傾向を測定した。夏休みの宿題を後回しにしていた人ほど,借金しやすかったり,肥満になりやすかったり,喫煙しやすかったりするように,自制問題に直面しやすいことが明らかとなっている(池田 2012)。長時間労働に関しても,子供の頃の夏休みの宿題を後回しにしていた人ほど,月 60 時間以上残業をする確率が高いことが明らかにされている(大竹・奥平 2008)。ここでも,「子供の頃の夏休みの宿題をいつ頃終わらせていたか?」という質問から後回し度合いを計測する。加えて,「夏休みの宿題をいつ頃終わらせる計画であったか?」という計画についても質問を行った。時間整合的な人は,実際の後回し度合いの程度と計画は一致している。それに対して,時間非整合な人は両者にかい離が生じる。計画よりも実際には宿題を後回しにしているような現在バイアスがあるようなタイプを『宿題を計画より後倒し』と定義した。計画よりも宿題を先に終わらせたようなタイプを『宿題を計画より前倒し』と定義した。
社会選好に関しては,自分と他人との間の金銭
配分から平等主義かどうかを把握する質問を用いた(Bartling et al. 2009)。この質問では,「自分も他人も 1 万円をもらう」という平等配分か,以下
の 4 つの不平等配分について,平等配分か不平等配分のどちらが好みかをそれぞれ選択する。
① 自分は 1 万円もらい,他人は 6 千円もらう
② 自分は 1 万 6 千円もらい,他人は 4 千円もらう
③ 自分は 1 万円もらい,他人は 1 万 8 千円もらう
④ 自分は 1 万 1 千円もらい,他人は 1 万 9 千円もらう
4 つのケースにおいて,すべて平等配分を選択した場合,『平等主義』と定義した。伝統的な経済学では,他人の利得を効用に含めて考えないの
で,自分の利得のみの大小に基づいて選択することが予想される。一方,不平等回避モデルといった行動経済学のモデルでは,他人の利得も含めて選択する。①では,どちらも自分は「1 万円」をもらうことができるが,不平等配分を選ぶと,他人は「6 千円」しかもらえなくなってしまう。平等主義者は相手が損することを嫌うので,平等配分を選ぶ。②のケースでは,不平等配分を選ぶと自分は「1 万 6 千円」ももらえるが,他人との利得の差が大きくなるので,平等主義者は平等配分を選ぶ。③や④は,不平等配分で相手が得するケースである。平等主義者は相手が得することも嫌うので,いずれのケースも平等配分を選ぶ。
残業時間に関するデータは,2013 年 12 月から
2017 年 4 月の合計 41 カ月の月次データの提供を受けた。総残業時間や深夜(22 時以降)残業時間など残業時間に関するデータが含まれている。Ⅳで後述するように,A 社は 2016 年 7 月に働き方改革を実施した。Ⅳでは働き方改革の政策評価を行う。Ⅲでは,働き方改革実施前(2013 年 12 月
~ 2016年6 月)の平均残業時間を算出し,行動経
済学的特性と残業時間の関係を明らかにする。残業時間の指標として,月 45 時間以上残業してい
れば 1 を取る 45 時間以上残業ダミー,総残業時
間,深夜残業時間の 3 つを被説明変数として分析を行う。
分析結果
表 1 に,行動経済学的特性と残業時間の関係を示した。子供の頃の夏休みの宿題を後回しにしていた人ほど,深夜残業時間が長いことが示されている。仕事の先送りが深夜残業につながってしまっていることを示唆している。一方,宿題を計画よりも前倒しにしていた人は,宿題を計画通りにした人よりも,45 時間以上残業しにくく,総残業時間が短い。計画よりも前倒しに仕事をてきぱきとこなすことによって,残業時間が短くなったと考えられる。
平等主義な人は,そうでない人よりも総残業時間が長いことが示されている。平等主義な人は,自分だけ得することも損することも嫌うため,できるだけ他人と労働時間を合わすように行動すると考えられる。自分の仕事が終わっていても,他の人が残業していると,他人に合わせて残業してしまうことで,総残業時間が長くなってしまっている可能性を示唆している。
働き方改革の政策評価
働き方改革
前述の通り,A 社は 2016 年 7 月に,月の残業
時間を原則 45 時間とし,働く場所と時間を自由にする働き方改革を行った。働き方改革前後の人事制度の変更の概要を表 2 に示した。A 社ではコアタイム制を導入していたが,働き方改革によりコアタイム制を撤廃し,完全フレックスタイム制へと移行した。月の残業時間の上限は,特別条項により 90 時間(年 6 回を上限)であったが,働き方改革により,80 時間(年 6 回を上限)に変更した。特別条項とは別に,月の残業時間上限を原則 45 時間とする目標も設定した。45 時間を超える場合は,役員の事前承認を必要とするように変更した。働く場所に関しては,オフィスや自宅に限定せず,カフェや図書館での仕事も認められるようになった。働き方改革によって,働く場所や時間が自由になり,柔軟に働くことができるようになった。一方で,45 時間以上の残業を行う場合,役員までの事前承認が必要となったため,45 時間を超えて残業することには手間がかかるようになったと考えられる。
働き方改革の前後の残業時間を比較する差の推
定では,働き方改革導入のタイミングで発生した別の要因の効果(例えば,残業時間が減少傾向にあ
るトレンドなど)と働き方改革の効果を識別できない。働き方改革による残業時間削減の因果効果を推定するためには,働き方改革の影響を受けないが,共通のショックは受けているという対照群と,働き方改革の影響も共通のショックも受けるという処置群を比較する差の差の推定を行う必要がある。ここでは,働き方改革前において,月 45 時間以上の残業を経験していた社員を処置群
(処置群 1)に準じて考える。なぜなら,働き方改革によって,月 45 時間以上の残業が役員による事前承認が必要となったからだ。改革前において 45 時間以上残業をしていた人は,改革後にも 45時間以上残業する可能性はあり,45 時間以上残業をするためには役員の事前承認が必要となった改革の影響を受けると考えられる。一方,働き方改革前に,月 45 時間以上の残業を経験していない社員(対照群)は,こうした働き改革の影響は受けないと考えられる。
働き方改革の効果の異質性を捉えるために,以下の 2 つの分析を行う。第 1 に,働き方改革前に
おいて月 45 時間以上の残業経験がある人(処置群 1)を改革前の観測期間中に 45 時間以上残業が 50 % 未満の人(処置群 2-1)と 50 % 以上の人(処置群2-2)に分けて,差の差の推定を行う。第2 に,行動経済学的特性との交差項を加えて,どのような特徴を持つ人が働き方改革の効果が大きいかを明らかにする。また,働き方改革後(2016 年 7 月
~ 2017年4 月)の平均残業時間を算出し,残業時間と行動経済学的特性の関係を見ることで,働き方改革後においても残業時間が長い人の特徴を明らかにする。