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第26回植村直己冒険賞スピーチ全文


まずはお忙しいなかお集まり頂きありがとうございました。
植村直己冒険賞という日本人冒険家として最高名誉と言える賞を受賞させて頂き身に余る思いです。


思えば僕も植村さんのようにドングリでした。秋田の田舎の農家の子ども。運動音痴で人と話すのが苦手でシャイ(実は今もそうなのですが)、小学校のときは先生が「自由に班をつくって」となれば一人だけ余るタイプ。身体も弱くてひょろひょろ。同級生には、「まさたつ、みやびな龍なんて立派な名前は似合わない、お前はへび龍だな。」なんて言われていました。だから自然が遊び場で居場所でした。野山をかけづりまわり野うさぎを追う。まさに童謡のふるさとの世界に生きていて、自然はぼくをいつも平等に扱ってくれました。

思えば冒険家への憧れは10歳のときから。母親が買ってくれった世界の探検家・冒険家の本からでした。コロンブスやマゼラン、ヘディン。そして世界初のノルウェー・イギリス・日本 三つ巴の南極点争奪レース。そこで印象的だったのが同郷秋田出身の白瀬矗南極探検隊長でした。自分が弱かっただけに一途に夢を目指す冒険家たちの姿がたまらなく眩しく見えました

ですが、憧れになる勇気はなく。なんとなく大学生に、そして就職活動。そのとき初めて真剣に人生を考えました。やりたい仕事もなく勉強も嫌い。迷いました。そして冒険家への憧れを思い出し、第4回植村直己冒険賞受賞者の大場満郎さんの言葉に出逢いました。「笑って死ねる人生がいい」。ショックを受けました。いつまでも自分が嫌いなままは嫌だ。自分を好きになりたい。大場さんのような人になりたいという思いで大学を休学して大場さんの冒険学校にスタッフとして手伝いに行ったのが、最初の一歩でした。

このとき、決断する根本になったのは。最初の記憶が父親の葬式だったからです。僕が4歳、父が29歳で父は交通事故で他界しました。だから意識に刻み込まれていたんです。平等に理不尽に人は必ず死ぬ。ならば、夢に挑戦し続ける笑って死ねるような人生を送りたい。

実は僕は植村チルドレンではありません。植村さんが1984年に消息をたったとき、物心がつかない2歳。植村さんの現役を見てないのです。恩師の大場満郎さんを通して知ったいわば孫、植村グランドチルドレン世代です。そして青春を山にかけてを何度も読みその物語にワクワクしました。白瀬矗・植村直己・大場満郎。この歴代にわたる冒険の系譜がぼくの中で生きています。

今は植村さんへの憧れから板橋区に住んで6年、お墓から直ぐのところに住んでいますが、大学を出てからは冒険の為に就職せず、トレーニングを兼ねて浅草で人力車引きのバイトをはじめ、夜は旅行者がドミトリーで格安で泊まれるゲストハウスの住み込みの宿直をし代わりに無料で住み、ゲストが残した食パンを食べるなどしてお金をため、冒険遠征にでていました。

30代からは南極を志しスポンサーなどをつけ始め、就職をしたことは今でもないのですがありがたいことに多くの方に支えて頂いて冒険遠征を続けています。
2019年にも単独徒歩で南極点に到達していますが、1番の夢は憧れのオリジンである白瀬矗南極探検隊の見果てぬ夢を受け継いでの南極点到達。冒険を志した頃からの夢です。先人の夢を継ぎ、先人たちが見れなかった景色を見たい。人の夢が1世紀以上も受け継がれていくことを証明したい。

その人生最大の挑戦である南極遠征は途中撤退という人生最大の失敗。
達成による受賞ではないので讃賞だけでなく否定的なお声もあるだろうこと理解しています。そのお声も背負って立ちます。自分の行動の価値は自分で決める。しかしながら社会的な価値は他者が決めるもの。好きでやってきた事を評価していることを幸甚に感じ拝受させて頂きたいとの思いでここにいます。

ドングリ・グランドチルドレンのぼくは探検部や山岳部出身でもありません。人からは向いてないと言われていました。事実向いてない事を自覚もしています。でも、でも、夢を諦めたくなかった。自分だけは自分を信じてきた。いまここにいるのは少年時代の勘違いのせいかもしれません。才能もカネもコネもなかったし運動音痴。そもそも冒険家を志すまでアウトドア経験なし。それでも人一倍に覚悟し努力し続ければ夢は叶うのだと。

受賞は今後の期待も含めてと感じています。まだぼくには不釣り合いな大きな賞です。ですから賞に見合う男になる為にも年末にまた南極に挑戦します。

白瀬の夢を受け継いでの南極点到達が最大目標であったがゆえに、過去の遠征で達成しても感動して泣いたことがありません。なぜなら、そこは常に通過点だったから。再度、南極点に立ち、僕の見せたい景色を必ずやお見せし、何を世界の果てで感じたかをお伝えしたいです。初めて嬉し涙を流すかも知れません。それは南極点に行ってみなければ僕にもわかりません。だから行くのです。

いま、毎年、夏に子どもたちと一緒に三陸海岸のみちのく潮風トレイルを歩いてます。現役の冒険家としてまだまだ活動し更に大きな夢を見ながら、これから先のドングリたちに挑戦する楽しさを自然の中で伝えて行きたいです。

最後にこの度の受賞は夢しかなかったぼくを応援してくれた日本中世界中でであった皆さまお一人お一人のお陰です。本当にありがとうございます。
阿部雅龍

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