バイセクシャルの親友がカラオケで泣いた夜。
年明け。親友と定例の新年会を開催し、久しぶりにカラオケへ行ったときのこと。
彼女は酒の力もあってか、僕がリクエストした「ラヴ・イズ・オーヴァー」を熱唱しながら、泣き出したのである。
いつもなら「なに泣いてんだよ(笑)」と、ちょっとした笑い話で済むのだけど、彼女の中で起こった変化と覚悟を知っていたからこそ、なんだかこちらまで泣きそうになった。
「あたしさー、レズビアンになったんだよね」
そう言われたのは、お台場(イベント)へ向かう「ゆりかもめ」の車内だった。今でもよく覚えている。
その言葉を聞いても特別驚かず、「あぁ、そうなのか」って、ただただ受け止めた。
それは多分、彼女にとって一時の気の迷いではなく、そのパートナーと関係を深めていきたいという、強い覚悟のようなものが伺えたからだろう。
ただ、過去のパートナーはみな男性ばかりだったから、彼女は「レズビアンになったんだよね」と、今の自分の状態を表現した。
少し言いにくそうにしながらも、どこか淡々と。
以降、その事実は一瞬にして、僕にとって“当たり前の認識”となった。
当時はまだ、あらゆることに世間の理解が追いついていなかった時代。
自分でその事実を受け止めることも、それを人に話すことも、とても勇気のいることだったと思う。
愛し愛されることが、人を変える
ひょっとしたら、自分の心の中あった「種」に、相手が「水」を注いでくれたことによって、「芽」を出したのかもしれない。
その出会いは、おそらく彼女の価値観を強く変えてしまったし、人を愛すること、愛されることを学ぶ経験となったようだ。
相手が差し出す深い思いやりは、過去出会ってきたどの男性にも取るに足らず、どこまでも彼女を満たしていったように見える。
「迷わずに、この人を愛していけば良い」そういう確信みたいなものが、彼女を良い方向へ導いていったのかもしれない。
だから、人との出会いが人を変えるって、そう思うんだよね。
もっと言えば、「誰かに愛される」ことより、「誰かを愛する」ことのほうが、自分自身を強く変えていくんじゃないかって。
そう思ったりしている。
ラヴ・イズ・オーヴァー
しかし、彼女はそのパートナー(女性)とは別れることを決断した。
「ただ単に、恋が終わっただけ」と、そう話していたけど本心はわからない。
女としての将来、自分を育ててくれた両親に何を返せるのかって、本気で考え抜いた決断だったのかなと思う。二人で暮らしていく選択肢もあるけれど、理屈じゃなく、感情で進むべき道を決めたのかもしれない。
そして今、彼女には新しい男性のパートナーができて、将来のことも語り合えるような関係だという。
両親にその存在を話せば、「あぁ、よかった」と安堵の表情を浮かべてくれるらしく、「この選択は正しかったんだ」と、そう思えるらしい。
だけどその日、彼女は「ラブ・イズ・オーヴァー」を歌いながら泣いた。
人が抱える複雑な本心には、気付かないようにしてあげることも、大人の礼儀のような気もする。
だから勝手に気持ちを想像して、なんだかこちらも胸が締め付けられた。
人生において誰かと出会い別れることは、必ずなにかしらの意味を持っているはずだ。
彼女はその女性のパートナーとの恋愛を経験したことで、「自分を大切にしてくれる人とは、いったいどんな人なのか?」という、ホンモノの判断軸を手に入れたように見える。
その先に出会った現在の彼だからこそ、きっと、今の彼女を深い愛情で包んでくれるのではないだろうか?
声にならない声で歌い終え、マイクをテーブルに戻す彼女。
僕はぼんやりそんなことを考えていた。
まーしー
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