不自由からの脱却


こんにちは、まさしです。

今回は僕のヒストリーについてお話ししていきたいと思います。

僕の人生は一言で言うと「自由を追い求めた人生」でした。
それ子供の頃から不自由な生活だったからだと思います。

1.フラストレーションを貯めていた時代

当時僕の家は定食屋で、幼い頃から母親には「ウチは貧乏だから贅沢したらダメよ」教えられ、欲しい物は我慢しなければなりませんでした。
家も古い建物でボロボロの家で友達を家に呼ぶことも恥ずかしくてほとんどなく、いつも誰かの家に遊びに行っており、遊び盛りな子供としてはかなり不自由を感じていました。

高校生に上がったときサッカー部に入部したのですが、ちょうど僕が高校1年生になる年にサッカー専門の顧問が他校からやってきて、勝つ為のサッカーを経験することになりました。
この高校時代のサッカーが本当に辛く過酷な日々で、毎日死ぬほど走らされて、正直生きた心地がしませんでした。

2.目的地の発見

部活動を引退し進路を決める時期になり、このとき真っ先に思ったことがとにかく家を出たいということでした。

家を出て、新たな世界で自分の部屋を持ち、自由にやりたい勉強や、やりたい遊びをして、今までできなかったことをとことんやりたいという思いが強くありました。

そしてその夢を実現するために県外の大学に行こうと思いました。
大学に行けば親も納得してくれるしお金の援助も多少してくれる。ただ家を出るのなら私立はダメだと言われていたので狙うは学費の安い国公立大学という選択肢しかありませんでした。
ここで「国公立大へ行く」という明確な目的地が出来ました。

そして勉強をして全力を尽くしましたが結果はなんと不合格。
浪人は金銭的に無理と言われており、滑り止めの私立に行くしか方法がありませんでした。

あれだけ明確な目的地があったのに失敗をして、初めて人生崖っぷちに追いやられました。

3.チャレンジ

浪人がダメなので僕に残された選択肢は私立に行くということしかありませんでした。

浪人については先生からは、
2割が現役時代より点数が上がり、6割は同じ、2割が浪人したら現役より点が下がるという2:6:2の法則があるので、つまり8割は現役と同じか下がるため浪人は失敗するので、するなと言われました。

どうしよう?!

悩んだ挙句出た結論が、
ここでチャレンジしなければ一生後悔するということ。
チャレンジできるのにやらずに諦めたら夢は夢で終わる。
ここでチャレンジできるチャンスが残されているのだから挑戦をする価値は大いにある。
自分の力を信じて必ず合格するだけ猛勉強したら必ず道は開けると思い、浪人を決意しました。
金銭的な面については、予備校へ行くお金もないのはわかっていたので、自宅で独学で勉強をして国公立大学を目指すことにしました。

そして始まった浪人でしたが、1年というとてつもない長い時間自宅で浪人をすることは自分との戦いで、思った以上に過酷な日々でした。しかし明確な目的地があったので夢に向かい、死に物狂いで毎日毎日勉強をして、結果は見事合格。合格の通知を知ったときは嬉し過ぎて涙しました。

自由を追い求めてやっとの思いで手にしたキャンパスライフは、今までの人生とは比べ物にならないほど本当に楽しい毎日でした。

4.最後に

今回は僕の人生の中で大きなターニングポイントを迎えた大学受験についての話でした。

自由になりたいと言う一心でそこまで好きでもない教科も必死に勉強をしました。

目的地に向かって突っ走り自己実現をするという成功体験を10代で経験することができたのは大きな財産となりました。

もちろん今も新たな目的地に向かって突っ走っているところです。
この経験を活かして必ず自己実現してみせます。
そのときのエピソードはまたのお楽しみに!

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