波乱の始まり

こんにちは、俺です。

さて、順調(順風)に走っていた会社なのですが、資金繰りがキツくなってきます。

コンピューターって今じゃ稼働の月締めで工数ってのが普通なんですけど、昔は納品単位(期間毎の中間納品や検収完了タイミング)での支払いでした。

当時は下請け法も無かったので、通常の会社(零細に優しい会社)なら、末締め翌末、末締め45日ってのが多かったんですね。
そうなると、納品タイミングから換算すると入金までが4か月とか半年とかざらだったんですよね。

資本金も1000万しか入ってなかったので、銀行から貸付してもらって急場を凌ぐこともありました。
でもね。当時はベンチャーなんて言葉が無い時代。社長が26歳とか銀行員さえバカにする時代だったんですよね。

今はうらやましいっすよ。ベンチャーっていうだけでエンジェルもいるし、アーリータイム時の投資組合とかもあるしね。資金に困らなくなりましたよね。
会社1社目ってのもあって、増資って言ってもそんな伝手もないですし、親、親戚から借りるとか、連帯保証人に入ってもらって信用組合経由で銀行から貸付受ける(これでも回転資金なら多くて200万とかしか借りられなかったんですよね)

なので、自分もバリバリ仕事しなきゃならんのですが、月の中旬くらいになると経理から「俺ちゃん、お金足らない・・・」って言われてね・・・。
そこから仕事動いているクライアント回って一部だけでも部分納品検収として入金してもらえないか?っていう資金繰りが始まる訳です。

当時は15日仕事して、15日資金繰りでした。なので、月の15日が来るのがほんと恨めしかった。また、資金繰りかーってね。

そんな時、大型の納品終わって入金もあり、現金のストックが500万くらいあったので、2か月は大丈夫って思ってたんですよね。その間に他のメンバーが稼いだ金も入るし。

そしたらね。給料日前になって経理がお金無いって言うんですよ。

え!!!あったじゃん。500万残ってたでしょ。って

最初経理もはぐらかせていたんですけど、俺に投資していた株主が来てその金持って行ったっていうんですよ!!(それ横領じゃん)

電話して確認したら、あとで返すから借りたわって言われてね・・・。

いやいや、数か月分のスタッフの給料じゃない。何言ってんですかって。

どうやら経理も最初抵抗していたみたいなんですが、お前の給料は出してやるから渡せって言われて渡したそうで・・・(俺らが犠牲かよ・・・)


いやぁー参りましたよ。次の日給料日なのに、支払う金無いんですから。
社員の給料は優先していたので、俺ももらって無かったし、その間に何とかしようって思っていたんですよね(割の良い仕事とか急場の仕事とかこなせば何とか回ると算段してたので)

さすがにドッとやる気が無くなりましたよ。

資金繰りして、仕事して、入金したら、横からかっさらわれて・・・。

社員達にはとりあえず株主達の対応待ってくれって話と、俺が別途貸し付けてきた金から一部払って後は少し待ってくれって話ました。

もうね。一挙にやる気が無くなりました。

(その時に何社かの懇意にしてくれている人に頼みまして先払いで払ってもらって何とかしたんですけどね)

このままじゃマズいって思って(この後数か月の給料ストックも無いのでどうにもならない状態だった)、社員達を逃がすことにしました。
1人ずつ経緯含めて話をして、申し訳ないけど、転職活動してくれってお願いして。

1か月の間にみんな他のところに行けたので、これで安心して俺だけの問題になりました。俺もこの時未払いが10か月くらいあったのですが、もうどうでもよくなりましたよ。
つながっているクライアントも個人で受けてくれればいいって言ってくれて、何とか食いつないでね。

何度も株主から連絡が着てたんですが、電話に出る気にもならなかったんですよね。今からこっちこいとか言われても電車賃もねぇよって状態だったので。


なので逃げました。


何も残ってないですし、個人に付いた負債はあるものの、会社の負債は無いですからね。

もうどうでもよかったんですよね。

そういう状態でも助けてくれる人は何人かいて、食うだけならギリギリ何とかなりました。

家も無くなって、途方に暮れてたんですよ。

とりあえず仕事はやらなくてはならないので、契約していた会社に行って夜遅くまで仕事していると、そのまま徹夜になって事務所で寝るって感じでした。
あまりにもそれが続いたので、会社の方で家を貸してくれる人を紹介してもらえたんですよ。

中国の人で、1軒使ってない部屋があるからそこ使っていいよって言われて。(あとからこの人がとんでもない人だったんですが・・・)

とりあえずは、雨風凌げればいいし、会社までは7キロくらいだったので金も無いから歩いて通勤してね。この時は親に頼る訳にはいかないって思っていて、親に金で迷惑かけたくなかったんですよ。
なので、そんな生活を4か月くらいしてたかな~。

多少金が入ったので、部屋借りたいって話したら百人町(歌舞伎町の裏)に3.5万円で借りられるアパートを紹介してもらえました。
木造モルタル建て4.5畳風呂無し共同便所です。

1階で、すりガラスの窓を開けると目の前が家庭菜園っていうね・・・w
エアコンも無いので夏は死ぬかと思いましたよ。汗びっちょりで起きるんですよ。夜は暑くて寝付けないので、深夜までゲームセンターとかドンキとかで涼んでねーw
夏は窓開けると放置気味の青い朝顔が大量に咲いて奇麗だったなー。

家の前の路地は売春婦が所狭しと立っていて、前の部屋の人はオカマで夜な夜なカクテルドレス着て出ていくんですよ。

横に中華飲み屋があって、そこで飲んでると来るお客が中国の売春婦かヤクザか極右の人だったり、上で最初に部屋を紹介してくれた人が飲み屋やってたんですけど、この人がスネークヘッドで窃盗団だったとか・・・。

当時新品のVaioをこの中国人の人が持ってて、
「Vaioっすか。いいっすねー色カッコいいですよねー」って言ったら
「俺くんもいる?10万でいいよ。僕の友達が盗んできたやつだけど・・・」ってポロっというんですよww
てか、それ窃盗じゃないっすかって笑ってました
(何か俺もネジ飛んでたんですかねー。あとから考えると怖いなと。あれ怪訝になったりしたら狙われる可能性ありますからね・・・)

当時はまだ10円ゲームってのがあって(ポーカーとか麻雀の賭博ね)
「俺くん、ポーカー機作れる?」って言われて・・・。
作れますけど開発費先に出してくれって言ったら、納品の時にねって言われたり・・・(払う気ねぇだろ)

極右の人とは凄く仲良くなって、酒おごってくれたりしてたんですよね。俺がコンピューターの仕事していたって話したら
「今度、立川に新しい事務所作るんだよ。そういうコンピューターに強い人がこの業界居ないからさ、俺くん手伝ってよ」ってw
「いやー、考えておきます。」ってはぐらかしたら

「俺の後輩がキャバクラやっててスタッフ欲しいって言ってたから紹介するわ」って言われてその場で電話掛けられてね・・・。
申し訳ないから次の日面接だけ行ったらその場で採用になっちゃって、船橋駅前で女の子(従業員をスカウトするキャッチ)を3人集めたらチーフになれるからって言われて・・・。
何で船橋なんだよって・・・ww

今思えば凄い経験したなーと。

ヤクザ崩れのおじいちゃんに喉元にナイフ突きつけられたりしてねー。

もうね。失うものも無いので刺すなら刺してみろよって凄んだら止めてくれました・・・(あぁ~ぁ、酷い話だわ)


契約もらっていた会社も不渡り出して、清算屋みたいなのに乗り込まれてねー。一挙に金入って来なくなってね。
一時期、新宿の中央公園の芝生で寝てました(ホームレスってのが社会現象になるちょっと前ですよw)。朝日と共に起きるんですけど腹減っても金無いので公園の水飲んで生きながらえておりましたよ。

1週間振りに食べたコンビニの肉まんが凄く美味しかったなー。法治国家って最高!って思った瞬間でしたww


もうこうなってくると、自分の人生はここで終わるのかな~って思ったんですよね。
でね。何度目かの公園泊りの日に朝起きると何かポットとパンの耳持ったおっさんが同じように寝ている人達全員に声かけているんですよ。
その時に、俺のところにも来て

お兄ちゃん、腹減ってないか?パンの耳だけどいるかい?お茶もあるよって声かけてくれるんですよ。

俺それを聞いたらグッとこみ上げるものがあったんですけど「大丈夫です。たまたま帰れなかっただけなので」ってお断りしたんですよね。

なんかね。他の人達はそれを美味しそうに食べているんですよ。それを見て俺はこう思ったんです。

【あれを食べたら(全てが)終わる】

俺はまだここで終わらない。リベンジするんだって、チャンスがあるんだって!心で思ってたんです。なのですげー空腹だけど頂けなかった。

人の心の優しさ(慈善行動)って、やられた方にはガツンと堪えるんですよね。特に終わってない人間(再起が残っている人)からすると・・・。

オジサンは「分かった、悪かったね」って言って去ってくれました。

でもね。全員回った後にまた俺のところに来てね。
「じゃぁ寒いからさ、お茶だけでも飲みなよ」って紙コップに入れた温かい麦茶を渡してくれたんですよ。
二回来てくれて、断るのも忍びないと思ったんですけどお茶だけって言われて「すみません、じゃぁ頂きます」って言って頂きました。

飲んだらね。涙がポロポロ溢れてくるんですよ。

温かいな・・・美味しいな・・・申し訳ないな・・・情けないな・・・

色んな感情が溢れてきてボロボロ涙が止まらないんです。

オジサンはお茶を渡してくれたら直ぐにその場を立ち去りました。

仕事はまだあったので、出社前に公園の水で顔洗って、その時ですよ。


【このまま終わらねぇよ!俺はまだやれる!!】


って思ったんですわ。

今でも当時の貧乏時代を思い出します。
自分の今が根底にはこのド底辺(ニアホームレスの生活)があったので、あれを乗り越えられるのであれば何でも乗り越えられるって思っているんだと思います。

こんなのがあと数回あるんですよ・・・。

もうね。何やってるんだか・・・。

ただ自負できるのは、25~35歳くらいの10年の間に人の3倍くらいの経験したってことですかね。

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