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統合政府の予算制約式?恒等式でしょ!

統合政府の支出と収入

政府の財政収支を、中央銀行からの国庫納付金分を考慮して整理すると、政府と中央銀行が統合された財政収支となる。これは一般的には「統合政府の予算制約式」と呼ばれ、以下の(1)式のように表される(Walsh"Monetary Theory and Policy"(2017)のChapter 4 Money and Public Financeを参考にした)。

$${G_t +i_{t-1}B_{t-1} =T_t+(B_t-B_{t-1})+(M_t-M_{t-1})}$$ (1)

ここで、$${G_t}$$は$${t}$$期の政府支出、$${T_t}$$はt期の税収である。$${B_t}$$は$${t}$$期の国債残高、$${M_t}$$は$${t}$$期のマネタリーベースで、$${B_t-B_{t-1}}$$は$${t}$$期の新規国債発行、$${M_t-M_{t-1}}$$は$${t}$$期の貨幣創出に該当する。$${i_{t}}$$は$${t}$$期の国債の利子率である。

(1)式の左辺は$${t}$$期における統合政府の支出、右辺は$${t}$$期における統合政府の収入である。ここで(1)式を「制約式」と呼ぶのであれば、それは家計における予算制約式と同様に、得られた収入に応じてそれ以下の支出しかできないことを意味する。しかし、近年MMT(Modern Monetary Theory)の主張によってよく知られているように、自国で通貨を発行でき、変動相場制の国の統合政府の場合は、支出に対応した貨幣創出$${M_t-M_{t-1}}$$を行うことで、支出を賄うことができる(新規国債発行$${B_t-B_{t-1}}$$でも可能)。

つまり、左辺の統合政府の支出は、必要な分は貨幣創出や新規国債発行によって賄うことができるため、右辺の収入で制約されない。また、$${t}$$期において(1)式の関係は必ず成り立つことになるので、(1)式は制約式ではなく「恒等式」ということになる。

予算制約式と考えた場合は…

(1)式を「統合政府の予算制約式」と捉える一般的なマクロ経済学においては、それを将来期間まで考慮した「通時的な予算制約式」にしばしば拡張される。Walsh(2017)のChapter 4では、(1)式を$${P_tY_t}$$($${P_t}$$は$${t}$$期の物価水準、$${Y_t}$$はt期の実質GDP)で除し、それぞれの変数を小文字に変換した(2)式のように表現している。

$${(1+r)b_{t-1}+\sum_{i=0}^{∞} \dfrac{g_{t+i}}{(1+r)^i}=\sum_{i=0}^{∞} \dfrac{t_{t+i}}{(1+r)^i}+\sum_{i=0}^{∞} \dfrac{s_{t+i}}{(1+r)^i}\\\ +\lim_{i \to \infty} \dfrac{b_{t+i}}{(1+r)^i}}$$ (2)

ここで、$${\footnotesize r_t=\dfrac{(1+i_{i-1})}{(1+π_t)(1+μ_t)}}$$は実質利子率である。
また、$${\footnotesize s_t=\dfrac{M_t-M_{t-1}}{P_tY_t}=(m_t-m_{t-1})+\dfrac{π_t}{1+π_t}m_{t-1}}$$で、これは貨幣発行益(シニョリッジ)と呼ばれる。

また、政府が無限の将来に国債残高を返済せずに残すことは家計の効用最大化行動に反するとして、無限期先の国債残高の割引現在価値がゼロとなるのが合理的であることを示すのが横断性条件であり、(3)式のように表現される。

$${\lim_{i \to \infty} \dfrac{b_{t+i}}{(1+r)^i}=0}$$ (3)

※なお、最近の研究では横断性条件が満たされない(つまり正の値を持つ)ことで現在の国債残高を説明するものがあり、最後に簡単に触れる。

(3)式も考慮し、(2)式の左辺第二項の政府支出の部分を右辺には移項すると、現在の国債残高は、将来の財政黒字(プライマリー黒字)と貨幣発行益の現在価値と等しくなる、ということを意味している。

これが「統合政府の予算制約式」の考え方だが、(1)式は各期の「恒等式」であって予算制約式ではないことを想起すれば、(1)式の左辺の支出に対応する収入を、貨幣発行や新規国債発行によって確保できるのであれば、将来もそれと同じ積み重ねであって、いずれ国債残高をゼロにするべきなどと現時点で考える必要はないはずである。

ちょっとした思考実験:国債残高がゼロになる場合とはどんな時なのか?

政府が新規発行した国債が民間経済主体が(たとえ利子が非常に高いとしても)購入しなくなる、というのは、購入しても利子や元本の返済が保証されないと考えられている、ということだが、そのような場合とは例えば、近い未来にその国、あるいは地球が消滅すると予想された時か?

ただしこのような理由であれば、国民は貨幣も受け取られず、税の納付も拒否することが想定される。そうなると政府支出を行うには政府が暴力的手段に訴えるしかなくなるだろうし、民間による財・サービスの取引についても同様だろう。

もちろん、政府が自主的に国債を新規発行せず、国債残高をゼロにしていくことは考えられる。その場合でも、政府は政府支出に応じて貨幣発行できるので、(1)式が恒等式であることには変わりない。

政府債務に関する最近の研究

(2)式と(3)式を組み合わせた「統合政府の予算制約式」では、左辺である現在の国債の価値はプラスなので、それに応じて右辺の将来の財政黒字の割引現在価値がプラスになるか、マイナスになるならそれ以上の貨幣発行益がなければならない。日本で2025年に財政収支の黒字化の達成を目指そうとしている背景には、この「統合政府の予算制約式」の考え方があるものと考えられる。

ただし現実には多くの国で恒常的に財政赤字を出しており、例えばアメリカでは財政収支の黒字化を目指していないが国債にプラスの価値がついている状況である。

このような状況を説明する研究の1つとして、Brunnermeier, Merkel and Sannikov (2020)がある。彼らは国債残高ではなく、政府債務残高=国債残高+マネタリーベース残高と整理した「統合政府の予算制約式」にstochastic discount factor (SDF)を導入して、横断性条件のように無限期先の政府債務残高がゼロになるのではなく、正の値を取る(これを「バブル」と呼んでいる)と想定することで、現在の政府債務残高が持続していることを説明しようとしている(以下の数式は彼らの論文からの抜粋。右辺第3項の$${ζ_t}$$がSDF)。

ただ、(1)式は恒等式であると主張する立場からするとこのような研究は、(1)式を予算制約式と捉えたことによって現実を説明できないことに対する弥縫策にすぎないように感じる。虚心坦懐に恒等式と捉えればいいだけだ。

【追記】この記事を書いたのは、サイモン・レン=ルイスが(1)式を「「制約」ではなく「恒等式」と呼ぶ方が好ましいと私は考える」と書いていたのを見て、今更気づいたのかと思ったのが理由の1つ。


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