三上山(近江冨士)登山、そして永原御殿跡の見学です

画像1 季節がよくなってきたので、知人と野洲市にある三上山(近江冨士)・標高432mに登ります。この高さは、東近江トレイル・繖山コースの繖山三角点とちょうど同じ高さです。
画像2 駐車場に車を止めて、御神神社に参拝し登山の安全を祈願し、出発します。
画像3 登山道は、表登山道と裏登山道がありますが、私達は「表」から登り、「裏」を下山する計画です。
画像4 三上山は、JR野洲駅の東に聳える山で遠くから見ると円錐形の山ですが、麓から見るとそれほど円錐には見えません。近江冨士という別名があり、御神神社の神体山(山頂には奥宮鎮座)だそうです。また、俵藤太(たわらのとうた)秀郷の大きな百足(むかで)退治の伝説でもよく知られている山です。
画像5 登山道にはところどころに道標が立っていて、登り口を間違えなければ、それほど迷うことはありません。登りはじめは、雑木林や植林がされた比較的、緩やかな道を登って行きます。
画像6 しかし、中腹からはゴツゴツした岩に出会います。調べてみると、この岩は、約3億年前に大洋の海で堆積したチャートだそうです。そのためか、場所によって岩石が断層状になっています。苦労して、この狭い岩を抜けていきます。
画像7 苦労して通過してきた岩は、「割岩」呼ばれているそうです。別の道もあるのに、何とも難儀なルートの通過を選択します。
画像8 この辺りから、あちこちにヒトツバ(一葉)の群生が見られます。
画像9 ヒトツバは単葉の葉っぱを持つシダ植物で、岩の上などに着生していますが、山頂付近のあちこちでも見られます。
画像10 そして、この辺りから開けてきて、遠くの景色が見られます。比叡山(848m)でしょうか・・・。よく見えます。
画像11 山頂には御神神社の奥宮が鎮座しておられます。ここから、裏登山道方向に下山して行きます。登山時間は40分とありますが、私達は、写真を撮ったりしてユックリユックリ登山なので、相当時間を要しました。途中で追い抜いていかれた男性に、景色がよい場所を案内していただきます。年齢を聞くと81歳、週に二回登っておられるそうで、なんとも若々しい方です。
画像12 連れて行ってもらった場所は、「苔ヶ谷の展望岩」といわれる場所で、天気が良ければ伊吹山・霊仙山などもよく見えるそうです。なるほど、繖山・箕作山・雪野山などもよく見えます。ここで、随分と早い昼食をとります。それにしても、道中で何人かの高齢?登山者に出会いましたが、この山をフィールドにしている方も多く、百名山をめざす人もいて、高齢なのに皆さん実に健脚なのには驚きます。
画像13 裏登山道を下山しますが、登山道は腐葉土などが雨で流されてゴツゴツした岩が続きます。今朝までの雨の影響で滑って危ないので、慎重に下山します。
画像14 途中で、シダ植物に出会います。ウラジロでもなく、コシダでもありません。
画像15 トウゴクシダ(東谷羊歯)だそうで、調べてみると名古屋市最高峰の東谷(とうごく)山に由来するとありますが、詳細は分かりません。
画像16 途中まで下りてくると、不思議な六角形のコンクリートの構造物、いったい何に使われたのでしょうか・・・?
画像17 下山途中で、天保義民碑に立ち寄ります。枝葉の影が入ってうまく撮れません。
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画像19 そして祠・・・。天保13年(1842年)に不正な検地をしようとした役人に、抗議のため行われた農民一揆の犠牲者をしのぶ保民祠と碑とあります。
画像20 参拝をすませ説明板を見てから、さらに下山して駐車場に戻ります。まだ時間は12時なので、久しぶりに永原御殿跡の見学に向かいます。
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画像22 御殿といっても、本丸・二の丸・三の丸がある城跡といったほうが適切かもしれません。左側と奥には高い土塁、そして右にまっすぐ行っても土塁があります。
画像23 コーナーには櫓台、坤隅櫓跡(ひつじさるすみやぐらあと)とあります。そして土塁の向こう側には堀があります。周囲が堀で囲まれていたようです。調べてみると、坤(ひつじさる)は南西の方位だそうです。
画像24 入り口に永原御殿跡の説明板があります。家康・秀忠・家光の三代将軍が利用した徳川家の専用宿館で、それぞれ七回・三回・二回利用したとあります。それにしても巨大な御殿跡です。見学を終えて帰路につきます。帰ってみると歩数は約9,000歩、三上山の急な上り下りは、雨の後だったこともあり苦戦しました。三上山と永原御殿跡見学を終了して無事に帰還です。

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