根室海峡におけるオスのマッコウクジラの移動と潜水パターン
Amano, M., Aoki, K., Kobayashi, H., Minamikawa, S., Sato, K., & Kubodera, T. (2023). Stereotypical diel movement and dive pattern of male sperm whales in a submarine canyon revealed by land-based and bio-logging surveys. Frontiers in Marine Science 10: 1150308. https://doi.org/10.3389/fmars.2023.1150308
私たちは2006年から羅臼沖の根室海峡でマッコウクジラの調査を始めました。流氷に挟まれて死んだシャチの調査で羅臼を訪れたときに、現地でウオッチングのガイドを始められていた佐藤晴子さん(Sato’s beaked whaleの佐藤さんです)に、オスと思われるマッコウクジラが毎年夏にやってくるとの話をお聞きしたことがきっかけでした。その年から羅臼通いが始まりました。マッコウクジラのメスは安定した母系集団を作ることがわかっていますが、オスのマッコウクジラの研究は少なく、彼らにどの程度の社会性があるのかはよくわかっていません。これを明らかにしようと個体識別調査を始めました。さらにクジラはどうも毎日同じように移動しているという話も伺いました。そこで、羅臼灯台からセオドライト(目標までの水平、垂直角度を計測する測量機器。セオドライトともう一点の高度と位置の情報があれば、目標物の位置を求めることができる)を使ってクジラの移動を追跡する調査を始めました。クジラは海峡内を移動しながら採餌を行なっているので、水平移動の理由を探るには採餌潜水のことも調べないといけないということでデータロガーの調査も開始しました。調査開始から15年以上の月日が経ちました。陸上調査で移動のパターンはすぐに見えてきましたが、潜水行動のデータを集め、解析し、移動の理由についてもっともらしい理由を考えだし、論文として出すまでに(もちろん他の様々な仕事と並行してですが)、長い日数がかかってしまいました。
まずセオドライトを用いた陸上目視調査の結果についてお話しします。遠くのクジラは個体識別できませんので、一旦潜って次に浮上した時、前に見た個体と同じかがわかりません。このため、その時どきのクジラの位置はわかるのですが、特定のクジラがどのように移動していったのかはわかりません。それでも日出時からクジラの浮上位置と水面での移動方向は時間と共に変わっていきました。早朝にクジラは海峡の北の方に出現します。この時、クジラはさらに北の方(海峡の外方向)に移動しています。その後、クジラの移動方向は南向きに変わります。そして昼頃までずっと南に向かって移動していきます。昼過ぎからは再び北に移動していくのです。毎日のデータを合算してみると、この移動方向は6時間ほどで周期的に変わっていくことがわかりました(図1)。つまりクジラたちは、同調して移動方向を変えているようです。なぜ移動方向が変わるのでしょうか。潮汐の影響があるかもしれません。根室海峡内の水の流れは、ほぼ潮汐によって生じています。しかし、ある方向に移動するクジラの数が特定の潮汐の時に多くなるという関係は見られませんでした。
次にデータロガーによる潜水データです。2007年から2014年にかけて11頭のマッコウクジラに吸盤タグを用いてデータロガーを取り付けました。と言うのは簡単なのですが、なかなか難しい問題がありました。ご存知の通り、根室海峡は知床半島と北方領土の国後島の間の海峡で、我々は海峡の真ん中を走る中間線を境にその向こう側に行くことができません。クジラには中間線など関係がありませんから、ロシア側にも平気で行きます。そこでタグが脱落したら、あるいは脱落したタグがロシア側に流れていったら、電波で浮いていることはわかっても回収は不可能になります。そのリスクを抱えつつの調査で、毎回装着してからがヒヤヒヤでした。実際にタグに搭載したGPSで移動を見ると、装着時間のほとんどをロシア側で過ごしていた個体もあったのですが、なぜか運が味方してくれたようで、装着したタグは全て回収することができました。
ロガーのデータを見ると、昼夜で潜水深度が大きく異なることがわかりました。鯨類で昼夜で潜水深度が変わることはよくあることであり、多くの場合、餌生物の日周鉛直移動によっています。マッコウクジラでも小笠原のメスたちは、昼に深く夜に浅く潜ることがわかっています(Aoki et al. 2007)。しかし、根室海峡のオスは逆に昼には350から450mほどと浅く、夜には500から800mへの深い潜水を行っていました。残念なことに彼らが根室海峡で何を捕食しているのかについて全く情報がありません。したがって、昼夜でこのように潜水深度が異なる理由というのはわからないままです。
いくつかのタグにはGPSも取り付けて水面での位置情報からその移動を見てみました。個体ごとに移動を見るとかなりバラついているのですが、全体的には早朝に北、その後に南、午後に北とほぼセオドライトで得られた結果と同じように移動方向を変えているようでした(図2)。昼間ほどは顕著ではないのですが、夜の間にも早い時間に南へ、夜半から北へという移動パターンも見えました。この夜半から北に向かう移動の最後の部分が、陸上目視で早朝に見えていたということになります。このデータでも移動の方向と距離に潮汐が効いているかをみてみましたが、全く関係がなさそうでした。
以上の結果をまとめると、根室海峡のマッコウクジラは昼に2回、夜に2回、ほぼ同調して移動方向を変えること、昼は深い潜水を、夜は浅い潜水を行っていること、水深500mから2000mの範囲を利用していることがわかりました。これを合わせて考えると、どうもマッコウクジラは海峡内を、昼は水深の浅い層、夜は深い層に潜りながらそれぞれで一往復しているようです。そう思って移動にかかる時間を調べてみました。採餌中のマッコウクジラの水面での移動速度はだいたいどこでも4km/hくらいで、根室海峡でもそうです。彼らが利用している海域は海峡の軸に沿って約30kmあります。つまりこれを一往復するには約15時間かかることになります。そしてこの時間はちょうど夏の根室海峡の昼の時間とほぼ同じです。夜には800mに達する深い潜水を行っているので、南の浅いところまでは行かないことになり、移動する範囲が短くなります。したがって、約9時間の夜の間に一往復できるでしょう。だいたい計算が合います。移動方向の変化は海峡内を効率的に移動しながら餌を探査する方法と考えられます。クジラたちはこの基本的なパターンに従いつつ、実際の餌生物の分布によって毎日の移動パターンを少しずつ変えているのでしょう。
それではなぜクジラの移動方向の変化が同調しているのでしょうか。採餌中のマッコウクジラは広い範囲に散開して潜水を行うのですが、散らばりつつも、個体同士がある距離を保ちながら、一緒に移動しているためではないかと考えられます。彼らはエコローケーションで餌を探ししています。餌を探査しているときはパルス状のクリックスを一定の間隔で出していますが、餌を発見して追尾を始めると、餌との距離に応じてクリックスの間隔が短くなっていきます。つまりクジラは、近くの他の個体が餌を追いかけていることをそのクジラのクリックスを聴くことで知ることができるわけです。そして近くに複数の個体がいれば、一頭で探査するときよりも広い範囲から餌の分布の情報が得られるということになります。ただしあまり近すぎると今度は同じ餌をめぐって競争が生じますから、つかず離れずの距離を保つことが重要だと思われます。このように個体間距離を保ちながら移動することが、移動方向が同調して変わる理由と考えられます。
しかし、近くにいるのは誰でも良い訳ではないかも知れません。オスのマッコウクジラがこの海域を利用するのは平均して2年少しであることがわかっています(Kobayashi and Amano 2019)。つまりクジラはどこからかやってきてこの海域を利用するようになるので、新しくきた個体はこの海峡の特徴に合わせた採餌方法を新たに身につけることになります。海峡内にいるマッコウクジラは特定の個体同士が近くにいて、その関係性が少なくとも数年は続くこともわかっています(Kobayashi et al. 2020)。このような社会的な関係にある個体間で餌場の利用方法が学習によって伝わっている可能性もあります。実際に母系群を作るメスはそのようなことがあることがわかっています。逆に、オスたちは互いの採餌効率を高めるために、特定の個体同士で関係性を築くということがあるのかもしれません。識別個体の長期的な行動調査でこれらが明らかになっていくことが期待されます。
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